JDFC(日本ドナー家族クラブ)つうしん第2号 表紙掲載から

小児のドナーの問題点:二つのパターナリスム
京都市 杉本健郎(関西医大小児科助教授)

生きていればもう22歳の青年です。
15年前、長男は京都市内の友人宅近くでトラックにはねられ脳死となりました。72時間後に人工呼吸器をはずし心停止を待って、二つの腎臓を提供しました。親である私は、「生きた証を残したい」と移植を願い出ました。15年経った今でも、子どもの脳死に直面した親が勝手に臓器提供したことが正しかったのか疑問に思っています。親の気持ちとして、このまま体が焼かれ、灰になってしまうことが耐えられなかったのです。多くのドナーファミリーの想いと同じと思います。もう一つ、当時は気づきませんでしたが、親の悲しみ・無念さを「移植する」ことで少しでも和らげたいという親の身勝手な想いもありました。6歳の子どもの固有の権利を無視した行為であったとも取れます。この行為の思想は、パターナリスム(父権主義)です。
 15歳未満はドナーカードを持てません。日本では遺言関連の民法解釈(15歳未満は財産等への遺言は無効)を引用して、15歳未満は「親の判断」で決定してよいことになっています。ところが1989年の国連総会で児童の権利条約が結ばれ、児童の生命への固有の権利、意見表明権を保障されています。子どもの脳死からの移植についてもこの視点から討論が必要です。
 ドナー・死に逝くものの権利がいかに保障されるかという最も大切な討論課題、それは子どもの権利だけでなく、成人を含めた患者の権利の保障です。私は日常的には、一生寝返りもできず言語も持たないであろう重度脳障害児者の治療にあたっています。障害がどんなに重くても、自らの意志で楽しい人生をおくる権利・自己決定の権利を持っています。
 一方、医療現場では、インフォームド・コンセントと言いながらも、医療側からの一方的な情報の公開であって、患者側の理解に基づく自己決定の保障にはなっていません。納得の医療ではないのです。私が二年前に訪問したカナダやスウェーデンの小児救急施設は、面会制限はありません。ベッド上で親が我が子を抱きしめて、兄弟、親戚、友人に囲まれてターミナルを迎えます。日本はどうでしょう。
 慢性疾患患者の場合は、随分と患者の権利が保障されるようになってきました。ところが、多くのドナーファミリーが経験したであろう救命救急の場面では、「救命」の名の下に、移植優先となり、ここにも厳然とした医療におけるパターナリスムが存在しています。
 システムも旧態依然です。移植ネットワークのコーディネータが不十分でも動き出しています。しかし、ドナーファミリーにとっては、このコーディネーターは移植医側が立ち上げたレシピエントコーディネーターなのです。レシピエントも患者ですが、このシステムは移植医=健常者の視点から作り上げられたシステムと思います。患者・障害者=弱者の視点からのシステム作り、われわれドナーファミリーの経験では、当面、死に逝く弱者の悲しみを理解でき、患者権利を守り、いっしょに泣き、家族を癒すことのできるドナーコーディネーターが必要です。全国的な組織で、公的な立場で登場すべきであり、このような視点での検討が、一見回り道であっても、真の脳死・移植医療への信頼獲につながると確信します。ドナー本人とファミリーが後々になっても「移植して良かった」と思えるシステムが作られるべきです。

最後に、JDFCを立ち上げられた間澤会長、佐竹、吉川両副会長の勇気に拍手を送ります。15年前に先に逝った長男に、あの世で「おまえのお陰で、父さんの人生はたくさん勉強できた」と言えるように、会の発展に微力ながら尽くすとともに、弱者の視点をもった日本の医療改革へ、残された我が身を投じたいと考えています。

(JDFCの紹介は、掲示板にあります)