小児脳死と関連した課題:各大学病院では、以下の発表ような判断に迷う事例が日常的に見られています。ご意見をお待ちします。2001年1月
@小児の脳死診断をすべきか?(なんのために)A無呼吸テストは実行すべきか?子どもの場合のやり方は?B脳死診断後、どうするか?心停止はすぐにはおこりません。むしろ、血液学的異常値は改善します。さあどうする?? 長期に入院・人工呼吸器管理になっているのが現状です。
小児移植はできない。すぐに人工呼吸器止める・両親の了解があったとしても、厳密には違法。点滴(水分補給)以外の治療をしない。人工呼吸器の条件をゆっくり落とす(悪くする)・・・・病棟では、主治医が一人取り残されて、(個人的)判断を迫られる。法医学者、ケースワーカー、顧問弁護士は明快な答え出せない。親は介護に疲れ切る!主治医にすがる「どうしたら、いいのか、なんとかして・・・」と。
2000年10月、第28回近畿小児経研究会での発表
「脳死と思われた小児5例の検討」(滋賀医大中野ら)
小児の脳死判定に関する基準はいまだ確立したものではないが、臨床の場ではしばしば成人の脳死判定に合致する症例に遭遇する。われわれは過去3年間で5例の脳死と思われる症例に遭遇し、その対応を通して多くの問題点に直面した。
背景病因としては、MRSA肺炎による低酸素脳症、事故による窒息、SIDS疑い、インフルエンザ脳症、原因不明が各1名ずつであった。このうち3名は無呼吸テスト以外の項目で成人の脳死基準に合致し、7日から54日の経過で死亡した。他の2例は、脳幹反射の消失およびABRの消失、脳波の平坦化があるが、1例は除脳硬直肢位、1例はまれであるが、あえぎ様運動の存在で典型的とはいえず、2年4か月から3年1ヶ月を経過した現在も人工呼吸管理中である。家族の受け入れについても、非常に多様であり、スタッフの関わり方でも多くの問題を生じた。また、小児では脳死と思われる状態に陥った後も、長期間生存する例もあり、その間のケアーをどうするかについても議論があった。
これらの症例を通じて提起された問題点としては、@脳死基準に完全に合致はしないが、遷延性植物状態二も合致しない症例の存在、A臨床的脳死を判断する無呼吸テストの実施の指針がなく、また施行が困難な場合がある、B脳死判定から心停止までのケアーについての指針がない、C家族ケアーのための専門スタッフの欠如などがあげられる。
(なお、発表時の聞き取りとして、患者年齢は、2歳、3歳、6か月、7か月、9か月とすべて幼少でした)
小児の脳死・移植と小児科医(2000 年12 月)
資料として文芸春秋の「日本の論点2001年」のNO.49:「臓器移植法を見直すべきか」をお読みいただきたい。
「臓器の移植に関する法律」(施行・平成9年10月16日)(以下、臓器移植法と略します)の3年後の見直しの時期に入り、色々な見解が出てきています。
3年前の上記法律は、ご存じの通り、中山議員を中心とした「議員立法」でした。衆議院通過後、参議院で修正が行われ、これまでの臓器移植法が施行され、これまで8例の脳死移植が行われました。
前国会では、政府与党内の紛争があったからではないでしょうが、「改正」論議は国会内では行われていないようです。また、前回が議員立法であったために、今後、修正があるとすれば、厚生省・政府案による討議ではなく、議員立法的な「見直し案」が上程されるはずとの、複数の関係者からの情報です。2001年、年明けの通常国会で急遽、案件がでてくる可能性はゼロではありませんが、つい先だっての、先進的な「移植推進モデル地域」の北海道での移植ネットワークの着服事件やこれまでの脳死・移植例が少なすぎることなどから、しばらくは水面下での検討になる可能性が考えられます。
小児の健康に日夜奮闘している子どもの味方である小児科医が、この機会に子どもの権利を保障する立場から、小児医療の専門職としても、一定のコンセンサスが得られる点を内外に公表すべきと考えます。また、小児医療として今後継続的に検討しなければならない項目については、委員会・検討会のようなものを作って、専門家としての作業をしていかねばならないと思います。
以下にいくつかの問題点を列記します。
法律の原則は、(1)ドナーカードによる本人の意思表示のある時のみ、脳死を死と認め、移植する、(2)15歳以上に限る、(3)家族の合意が必要、という3点であると思います。
これに対して、幾つかの見直し案が出ています。
厚生省科学研究、「臓器移植の社会的資源整備に向けての研究」の分担研究者である、上智大学町野教授の研究班は、『年齢に関係なく脳死状態にある人からの臓器移植を可能とする。15歳未満の未成年者の提供については、特に親権者の承諾を得る。』という、現法の主旨を大きく逸脱する内容のものでした。すなわち、「本人の反対の意思表示がない以上は、臓器を摘出することは、本人の自己決定である」という論理です。この考えに立つ法律を掲げる国もないではありませんが、果たして、これまでに行われてきた我が国の脳死・移植討論の流れにそうものかは大きな疑問があります。さらに、15歳未満の小児であっても、親の了解があれば、子どもの意思に関係なく脳死・移植ができるという内容です。これは小児のレシピエント、特に心移植の場合の心臓のサイズのことが理由にあげられ、子どもへの移植はこどもからでないとできないという論理からでてきた発想です。
これに先立ち、総理府が2000年5月に世論調査を行っています。
臓器提供については「本人の意思表示と家族の承諾が必要」と考える人が69.9%を占め、「家族の承諾だけでよい」とする人は、2.1%にすぎませんでした。小児の臓器提供については、「臓器提供を出来るようにすべき」が67.9%あり、「出来ないのはやむ得ない」が21.1%でした。
この結果は、本人の自己決定が大切であることと同時に、小児の脳死でも希望すれば移植が可能になればよいという、一種矛盾したものでした。しかし、小児に関しては、我が国では、歴史的にこどもは親の意思に添うものという考え方があり、後半の結果は、親が納得・希望すれば可能にしてもよいという発想からの結果でしょう。
もう一点、最愛のわが子の瀕死の場面では、「わが子の生きたものを残したい」「社会的貢献をさせていやりたい」という切なる親の思いも自発的にでてきます。この点については、現段階の法律では移植不可能です。この点は、なんとかならないか?という想いも伺えます。
次の視点は、「児童の権利条約」です。
1989年の国連総会で「児童の権利条約」が採択され、我が国も批准しました。
以下は、生命倫理を専門とする大阪府立大学森岡教授の指摘を参考にしました。
第6条には児童の生命に関する固有の権利を有すると書かれ、生と死についての判断を子どもの保障する。
第12条は、「意見表明権」で、年齢と成熟度に相応して考慮され、子どもは自分の意見述べる権利を保障する。
第14条は、「思想・良心・宗教の自由」で、子どもは、親からの指示を受け、かつ公共の秩序に反しない限り、思想、良心、宗教の自由、信念を表明する自由をもつ。
第19条は、「虐待・放置・搾取からの保護」で、これはいうまでもない内容ですが、親の願望と子どもの希望は別物である。意思表明していないこどもの臓器を親だけの意思で摘出するのは、性的虐待にも似た児童虐待ではないか。
即ち、森岡氏は、子どもでも意思表示をする機会・ドナーカードを所持してもいいのではないかという考えです。それには、学校や家庭でこどもと「死の教育」を真剣に討論しなければなりません。
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