{てんかん協会機関誌「波」12月号依頼原稿}
父親:専門医の立場から
てんかん治療専門医(小児神経科医)が、患児=父親を含めた家族との関係を述べる場合、患児の年齢や発作の難易度によって大きく変わります。小児期発症のてんかん患児でも、学童期前後に発症する特発性の良性てんかんの場合は、合併する知的障害や運動障害がないため、発作さえ止まると、父親に限らず母親とも親しくうち解けることもありません。てんかん病名を告知する時に、正確に丁寧に質疑応答をしておけば、あとは投薬と定期的なチェックに終始するからです。
今回述べる対象は、新生児期から乳児期に発症する点頭てんかんなどの症候性全般てんかんか、難治性の症候性局在関連てんかんの子どもをもつ父親です。多くの場合、子どもはてんかん以外に知的障害や運動障害をもつ重度脳障害児です。超重度児の場合は、学童期に亡くなることも少なくありません。その間何度かてんかん発作の治療や肺炎などの感染症で入院になると、患児を取り巻く家族の姿が見えてきます。しかし、それ以外はいくら難治性てんかんで頻回の受診であっても、短い外来診療だけから主治医に見える家族は表面的なものでしかありません。肝心の治療対象である子ども達の本来の姿についてさえも、外来診察室での不快な表情だけで理解することはできません。
養護学校校医をしていた時の教室内の出来事です。6年間主治医として診察を繰り返していても、一度も見たことがない楽しそうな子どもの笑顔を、先生や友達の中にはじめて見つけた時は、大きな驚きでした。「あそこで、はしゃいでいるのが、僕が主治医の裕樹君ですか?」と担任に尋ねていました。
こんな程度の理解しかできていない、すなわち患児や家族と「点線のつきあい」でしかない専門医が、父母の対応などを正確に把握し、述べることは適切でないかもしれません。
「元気ですか?」「発熱は?」「ゼロゼロは?」「食欲は?」、そして「発作はどうですか?」の繰り返しです。20数年のこのような診療で出会った印象に残る父親を思い出してみます。
まず思い出すのは、母児のもとから去っていった父親達です。それには一つのパターンがありました。病気の初期は、父親が母親よりも積極的に対応します。病状説明や入院の場合でも、治療スタッフに自分の意見(親の意見)をぶつけます。この時母親は子どもに付き添うだけであまり話にもはいってきません。父親の話題は、病気の理解よりも「治るのか?」「将来通常の学校へ通うことができるのか?」という点に終始します。働くお父さんにとっては、当たり前の質問なのかもしれません。ところが、1年たち、2年経って、そのお父さんの目にも子どもの障害は治らないことがわかってくると、面会や同伴通院が目に見えて減ってきます。
父親が難治性てんかんや合併する脳障害の重さを受け止めたとき、さらに子どもに寄り添うか、離れていくかは、たとえ短い外来診療時間であっても、主治医には敏感に感じ取ることができます。こどもの治療方針のイニシアチブを取り、高価なリハビリや効能不明の薬を試みたり、渡米してまで治療を受け回復を願った父親の多くは、結果的に子どもから去って行きました。
医学がいくら進歩しても、完全治癒を望めない場合はたくさんあります。もともと若い父母が描いた結婚後の人生設計には、障害児を育てていくことは入っていませんでした。ところが、わが子の障害に気付き父母それぞれが障害の重さを受容し始めたとき、夫婦が寄り添うのか、夫婦間に亀裂を生じるのかが歴然としてきます。
寝たきりで毎日部分発作を頻発していた広君のお父さんは、毎回の診察にあわせて、会社の休みを取っていました。後部座席を子ども専用ベッドに作り替えたワンボックスカーを1時間以上運転して診察にやってきました。車をやさしく走らせるために、父親曰く、「後続車とのいざこざを避けるため」、大きな「日の丸」を車の後部に張り付けていました。診察室にはお父さんが子どもを抱いて、「先生こんにちは」といつもバリトンの大きな声とともに入ってきました。「難しい病気の説明はいらんが、少しでも快適にしてやり、一日でも長くこの子と過ごしたいのや」と。仲の良い夫婦でしたが、一人っ子の広君は9歳の時、肺炎で亡くなりました。
14歳になる明美さんは、難治性でしかも進行性のてんかんです。主治医として試行錯誤しながら色々な薬にチャレンジしてきました。薬の変更時は、製薬会社のパンフレットも渡して、使用の是非を討論します。すべて父親が慎重に検討します。時には主治医の説明がわかりにくかったのか、製薬会社の学術に直接電話をいれて確認することもありました。でも、使用の最終決定はいつもお母さんなのです。石橋をたたいて渡る父と大胆に決断する母親と、うまく歩調が合っています。
18歳で亡くなった寝たきりで気管切開していた麗子さんの夫婦は、2週間毎に外来処置室で気管切開部の処置をする間にいろいろ話してくれました。看護に疲れたら夫婦二人でテニスをするそうです。その間、気のあったヘルパーに子どもを見てもらいます。処置中は控えめながら、父親が必ず麗子さんに寄り添って手を握っているのでした。
主治医が年齢を重ねたためか、診療するてんかん患児も成人期に入っています。成人期の知的障害や運動障害を合わせ持つ患者の親たちの殆どが父母が同伴なのです。他の年齢層の患児の父母同伴率と明らかな差があります。これは必ずしも我が子の体重が重くなったりしたための労働力としての父親の価値だけではないようです。そして、リーダシップは常に母親で、父親は一歩引いた姿勢が不思議と共通しています。もちろん外来診療だけでなく、どこへ行くにも、どんな行事に参加するときも父母が同伴するようです。夫婦同伴の患者自身の表情はゆったり落ち着いています。
話は一変します。
スウェーデンの障害児者のサポート施設で専門家達と話しますと、障害者の医療や福祉の改善運動や病気の勉強会は、父親をターゲットにして集めるそうです。男女平等が進んだスウェーデンの地にあっても、女性のサイコセラピストが患者運動の組織には男手(父親)が必要と力説していました。
スウェーデンの障害についての考え方は、障害の個人責任は問いません。障害は環境によって生じるもので、よって障害は公的に保障するという考えが徹底しています。
我が国では、障害児は個人責任で育てるものという考えから一歩もでていません。母親にも、父親にも、障害を持つ子ども達と同様に、楽しい人生を送る権利があるはずです。我が国でも基本的には憲法で保障されているはずなのですが、現実は厳しい日常生活を強いられ、母親の双肩に重くのしかかっています。医療、教育、福祉に限らず、国策そのものにも、もっと声を上げていかねば何も改善されません。てんかん協会の運動にも、もっとたくさんの父親の参加が望まれます。
主治医として「親はわが子の病気についての専門家になれ、そのための情報公開・提供はいくらでもする」と話します。そして、「親は子どもがたとえ障害を持っていても、楽しく生きる権利を保障し、生き様を決める自己決定権を養護する最大の味方だ」と思います。医者はそれらのサポーターの一人にすぎません。