トロント事情(トロント在住ジャーナリスト田中義章氏)
田中義章氏は杉本健郎がトロント在住時、公私にわたり大変お世話になったジャーナリストです。在カナダが35年になろうとする元江戸っ子です。 
(このコーナーは中止しています)

トロント事情  85歳の女性市長11選  11月22日

すっかりご無沙汰しておりましたが、その間にトロントはもう冬景色です。さすがにまだ本格的な雪は降っていませんが、パラパラとは2回ほど降ってきました。今朝(11月22日)はマイナス1℃で、裏庭の日の当たらないところは真っ白に霜がおりていました。

11月13日にオンタリオ州では一斉地方選挙が実施されました。トロントではデービッド・ミラーというハーバード大学出の市長が再選されました。有力な対抗馬もなく、当分は彼の市政が続きそうです。さて、杉本先生、トロントの西隣にミシサウガという名前の市があったのを覚えてはりますか? トロント国際空港のある街で、人口からいくとカナダで6番目の大きさの市になります。

このミシサウガ市には、ヘーゼル・マカリオンという名物おばあちゃん市長がいます。「ハリケーン・ヘーゼル」というニックネームを持つ女性で、歯に衣着せぬ物言いで有名な市長さんです。この市長、なんと85歳で、今回の市長選挙にもまた出馬しました。1978年に同市長選に初出馬、初当選して以来、毎回毎回連続当選。今回は11回目の選挙で、名前ばかりの泡沫候補2人が相手では勝負にも何にもなりません。91%の得票率で圧勝です。選挙運動などいっさいやりません。

数年前、確か彼女が80歳のとき、市長室を訪れてインタビューをしたことがあります。印象に残っているのは、彼女のいうことが非常にわかりやすかったこと。センテンスが短くて、難しい言葉をほとんど使わないのです。記憶力もよかったですね。そして、ユーモアがあるのです。ミシサウガ市は企業誘致に熱心ですが、日本のカメラ会社などが多数進出しているので、市長は日本びいきです。刈谷市と姉妹都市関係にあります。

市長の任期は4年。次の選挙に再び立つとすると、89歳になります。「次の選挙にも出ますか」との質問が出たとき、マカリオン市長は「任期切れの半年ほど前になったらどうするか考えることにします」と言ったそうです。

9月7日 ルーキー警察官任官

 9月7日、トロント市庁舎前のネーザン・フィリプス広場で、オンタリオ州ポリス・カレッジで12週間のトレーニングを終了して、今年度、トロント市警察に配属が決まった160人のルーキー警察官たちの任官式が行われました。いっきょに160人の任官はトロント市警察創設以来、史上最多だそうですが、これらのルーキーおまわりさんは、世界有数のマルチカルチュラル、マルチエスニック都市、トロントを象徴する存在になっています。

 この日、警察官バッジを手渡された160人のうち30%が、いわゆるビジブルマイノリティー(非白人)で、63%が英語と英語以外の言語を話せるそうです。英語以外の話せる言語のなかには、マケドニア語、タミル語、スワヒリ語、パンジャビ語、ウクライナ語、ウルドゥ語、Kalenjin 語、 Konkani 語などが含まれています。おしまいのふたつの言 語がどんなものか、見当もつきません。7人のルーキー警官が4つの言語を話せるそうです。

 61%のルーキーおまわりさんが、大学かカレッジ卒の学歴を持っています。また、14%が軍隊経験あり。14%が女性警官です。

 今回任官した市警察の警官のなかに、日系カナダ人がいるかどうかまだ分かりませんが、市警察には、私が知っている範囲で少なくとも4人の日系カナダ人警官がいると思います。そのうち日本語がある程度できるひとが、確か3人はいるでしょう。

8月7日 フィッシュストーリー

ほかにたいして道楽のない私ですが、釣りだけは「へたの横好き」の部類です。カナダに来る前の話ですが、子供のころに死んだ親父のお供をしてよく東京の近間の釣り場に行ったことが、影響しているのでしょうか。近年、トロントの近くの湖ではほとんど釣れなくなって「もうオンタリオ州の湖には魚がいない」と宣言し、釣りから足を洗おうかと考え始めていました。

それが7月22日(土)、トロントから車で2時間30分ほど北に行った友人Kさんのコテージ(別荘)があるムスコカというところに行って、私の宣言を撤回せざるをえないようなことが起きたのです。日帰りでのんびり行ったものですから、往復5時間以上かかるため、正味釣りをした時間は3時間ぐらいだったでしょうか。それが釣れたのなんのって、ボートでポイントに行けばまさに入れ食い状態で良型のバスが次々に釣れました。あんなに釣れたのは実に久しぶりのことです。あのバスの強い引きを何度も味わって興奮の連続でした。エサはリーチという黒い蛭を生餌として使いました。リーチですと、本当にすぐ食いついてきます。リーチがなくなってしまい、ルアーも使いましたが、ルアーでもポイントに行けば同じようによく釣れました。

なぜあの湖がそんなに釣れたかといいますと、多分、その湖がいわゆるプライベートレークといわれるものであって、その湖沿いに住んでいる人たちだけしかアクセスできない、一般の人たちはアクセスできない湖だったからではないかと思います。一般の人が誰でも行ける湖では、オーバーフィッシングで魚が激減してしまったといわれています。久々に釣りの醍醐味を味わった一日でした。

7月にオンタリオ州の西端に近いエリオットレークという町の近くの湖で起きた実際の話を紹介しましょう。マーティ・デコトーさん(35)というフィッシングガイドの男性が、早朝、小型ボートに乗ってお客さんたちのためにためし釣りをしていたときのことです。自分のラインに5キロ以上の大物レークトラウト(マス)がかかってリールの巻上げに大忙しの最中、近くを泳いでいたクマが(クマは泳げるのですね!)ボートの端に前足をかけてボートの中に乗り込もうとしたのです。マーティさんはボートのオールでクマの頭を叩きましたが、そんなことぐらいでひるむクマではありません。とうとうクマにボートをハイジャックされたマーティさんはボートを脱出し、泳いで陸地に逃れました。

クマが追いかけてこなかったことにホッとしてマーティさんが湖のほうを振り返って見ると、信じられないことが起きていました。ボートの中をウロウロしていたクマが、何かの拍子にボートの船外機エンジンのスロットルに前足が触れたのでしょうか、ボートはすごい勢いで湖の上を疾走し始めました。「私のフィッシングラインを引っ張りながら、クマが私のボートを操縦しているのを私は岸から見ていたのですよ。ひとに信じてもらうのがむずかしいまさにフィッシングストーリーですけど」とマーティさん。そのうちクマを乗せたボートは岩にぶつかって、クマはボートから飛び降り、近くの茂みに逃げていきました。そのあとも無人のボートはガソリンがなくなるまでグルグルおなじところを回り続けて止まりました。マーティさんがボートまで約2.5キロ泳いでたどりつき、ボートに乗り込みました。驚いたことに、マーティさんが釣り上げた5キロ以上のレークトラウトは、まだちゃんとマーティさんのラインにかかったままだったそうです。

7月18日 近況

杉本先生、すんまへ〜ん。すっかりご無沙汰してました。気がつけば、先生のHP、ヒット数が10万超えてますね。おめでとうございます!

こちらお金だけはいっこうに貯まる気配を見せてませんが、元気に過ごしてます。私もワイフも基本的にエクササイズは、ベイビュー×シェパードのYMCAです。ワイフのほうが坐骨神経痛とか骨粗しょう症だとか言われて、私よりも熱心に行って、ヨガやピラテスなどをやっています。スイミングは前のようには一生懸命やっていません。私はヨガはどうも性に合いません。ピラテスとか筋トレ系、ウオークフィットなどに顔を出しています。ロシア人のかっこいい女性インストラクターのクラスに行きたがる傾向があります。ジャズバレーをやっているのだそうですが、動きがきれいで、いつもインストラクターのほうばかり見ています。

7月8日(土)に久しぶりに釣りに行ってきました。カナダ人の友人2人と私と、私の若い日本人の友人の計4人。カナダ人の1人がボートを持っているので、それが係留されているピジョンレークという湖に車で行きました。トロントの北東、車で1時間半ぐらいのところです。ピーターボロの西ですね。そのへんはけっこう大きな湖がたくさんあるところです。私たちもその近くのバックホーンという湖に前はよく行って、貸しボートに乗りバス釣りをしたものです。近年、めっきり釣れなくなり、興味を失いつつありました。

さて、ピジョンレークですが、4人の大の男が昼過ぎから夜の9時ぐらいまで(まだ明るいのです)あちこちのポイントを狙ってがんばりましたが、食べるに値するような魚は私が釣り上げたたった1匹でした。ウオールアイ(まさに壁の目)という変わった名前の魚(日本では見たことないですね)ですが、まだ若い魚で長さ35センチぐらいでしょうか。若いウオールアイは美味で知られていますので、持ち帰り、食べました。非常に高くついた魚でしたが、ほんとうにおいしかったですね。

7月15、16、17日と昔住んでいたことのあるモントリオールに、車で行ってきました。500キロですから、東京―大阪間と同じくらいでしょうか。全線無料のハイウエー401をひたすら一直線です。山、海が全然ないので景色はやや退屈ですが、有料道路がないというのはありがたいです。ただ、中東危機でガソリン代が急騰、モントリオールでは1リッター、1ドル18セントもとられました。モントリオール−トロント間を運転するのに45ドルも払いました。日本円で4600円ぐらいですかね。モントリオールも暑かったですが、トロントはもっと暑くなりました。

34℃(体感気温42℃)とかラジオで言ってました。スモッグもひどいです。太陽光線がやたらにきついですね。すぐ真っ黒に焼けてしまいます。モントリオールで旧友たちに会ったり、郊外にあるアウトドアの陶芸市に行ってきました。

4月11日 オンタリオ最悪の大量殺人

しばらくぶりです。長いトロントの冬もやっと終わりかけています。まだ朝晩は油断ができませんが、日中は15℃ぐらいまで気温が上昇しています。

4月8日朝、日ごろはあまり凶悪な犯罪も起こらないオンタリオ州で、めったにないような事件が発生しました。ところでオンタリオ州というのは、カナダでいちばん人口の多い州で、トロントが州都です。カナダの経済を支えるエンジンみたいな州です。トロントから約200キロ西にロンドンというけっこう大きな町があり(テームズ川という名前の川も流れているそうです)、そこからさらに30キロほど南西にシェドンという小さな村があります。人口250人程度。あたり一帯は広大な農地がひろがる牧歌的風景の、いわば退屈きわまりない村なのです。

8日朝、その村のあるひとの農地と付近の農道に、まったく見慣れない乗用車が3台とレッカー車が1台止まっているのを見かけたので、農地のオーナーのひとが何事かと思って見に行きました。そうしたら、何と4台の車の中と外に計8人の男の死体が見つかったのです。オンタリオ州警察が周囲一帯を閉鎖し、大規模な捜査活動が始まりました。あとで分かったことですが、8人は全員、射殺されていました。8人とも白人で年齢は28歳から52歳まで。30代がいちばん多いのです。8人のうち5人までがトロント地域に住んでいました。

9日、オンタリオ州警察が死体発見現場から数キロ離れた一軒の民家を急襲、その家の住人を含めた計5人(男4人、女1人)を8件の第1級殺人容疑などで緊急逮捕しました。住人の52歳の男はモーターサイクルギャング団「バンディドス」のメンバーで、のこりの4人もバンディドス関係の者たちのようです。その後の調べで、殺された8人のうち、5人がバンディドスのメンバー、ほかの3人も準構成員などだったことが明らかになりました。まだ、大掛かりな捜査が続行中なので、州警察も詳細については公表していませんが、モーターサイクルギャング団内部の抗争事件、あるいは内部の粛清が行われたのではないかとみているようです。

バンディドスと敵対する最大のモーターサイクルギャング団「ヘルズ・エンジェルス」は、自分たちのウエブサイト(悪名高いギャング団がウエブサイトを持っているというのもおもしろいのですが)で早速、「われわれは8人の射殺事件にはいっさい関係がない」という声明を発表したそうです。事件の真相はこれから明らかにされていくことになると思いますが、とりあえず、あまりにもオンタリオらしくない事件の一端をお知らせしておきます。

トロント事情  1月25日    カナダの総選挙結果

長い間ご無沙汰しておりまして、大変失礼いたしました。いつのまにか、2006年に入ってしまいました。

昨年末から年始にかけてのカナダ最大の話題はなんといっても1月23日実施の連邦議会下院の総選挙でした。12年余続いた自由党政権の「腐敗体質」が問われ、他の選択肢としての保守党の実力が試される選挙でした。この2大政党のほかには、ケベック州の分離独立を志向するケベック連合と社会民主主義をうたう新民主党が目立つ程度で、ぐーっと差がついてグリーン・パーティーが存在します。

前半戦の世論調査では依然として自由党優勢となっていましたが、クリスマスのあと、突然、財務省内部からのインサイダー取引容疑が浮上、連邦警察が介入して財務相自身を含めスタッフなどの事情聴取が行われたというニュースが全国に伝わってから、情勢が一変しました。真相はいまだに解明されていませんが、昨年11月23日、グデール財務相が記者会見でインカムトラストファンド関連の所得に対する増税は行わないといった趣旨の声明を発表する数時間前から、インカムトラストファンド関連企業の株価が異常な高騰ぶりを示し、株の売り買いで巨額の金が動いたということは、当時からどう見てもおかしいという声が野党や金融専門家などの間から上がっていたのです。

なぜ、連邦警察がこの絶妙なタイミングで捜査を開始したのかはまったく分かりませんが、それ以来、世論の潮流が変わったのは非常にはっきりしています。世論調査結果でも初めて保守党が自由党を上回りました。一時は、この調子でいったら保守党の多数派政権誕生かという予測まで生まれたほどです。前回〈04年〉総選挙でも後半戦で「保守党多数派政権」の憶測が流れ、その勢いに乗じてハーパー党首がおごりたかぶった感じで多数派政権を強調したものですから、自由党側に足元をすくわれました。自由党は、徹底したアンチ・ハーパーテレビ宣伝をいっせいに流し、「何を考えているかわからない男」という恐怖感を有権者の心に植え付けることに成功しました。

結果的には、今回の選挙で保守党は124議席(定数308議席)を取って第1党になり、ハーパー党首(46歳)が次期首相になることが決まりました。過半数の155議席にははるかに及ばない少数政権です。今回も後半戦、自由党側が有権者に恐怖感を植え付けようとやっきになり、ある程度、効果をあげたことも確かです。自由党は第1野党に転落してといっても103議席を保持、ケベック連合は3議席減少の51議席、新民主党はかなりの躍進で11議席増の29議席となりました。独立系が1議席、グリーン・パーティーは0でした。

カナダの場合、現在、保守党、自由党が2大政党ですが、両党の政策綱領の約8割は似通ったものとされとり、それほどの大差はないのです。まして、前の自由党政権も今回の保守党政権も少数政権。他党との協調関係なしでは議会運営が不可能になってしまいます。そのために「カナダ的」な妥協精神が重要な役割を果たすことになるのです。保守党が13年ぶりに政権を担当することによって、その真価が国民の知るところとなったあかつきの次の総選挙がいずれかの政党による多数派政権登場の舞台となるのではないでしょうか。

私個人としては、自由党政権が長く続きすぎたので、46歳のスティーブン・ハーパー党首率いる保守党政権の登場を歓迎したいと思います。

11月28日  トロント冬景色

 しばらくご無沙汰しているうちにトロントはいっぺんに冬景色です。先週には今冬最初のスノーストームで5〜10センチぐらいの積雪でした。気温もマイナス7℃ぐらいまで下がりました。ドライブには神経を使う日々になっています。先週、北海道苫小牧出身の女子アイスホッケー選手で現在、当地の女子ホッケーリーグでプレーしているKさんにお会いしましたが、苫小牧に生まれ、育ち運動神経抜群の彼女でさえ、雪のトロントのドライブは怖いと言っていました。

 ひとつには、日本だとスタッドレスタイヤというのを使用するので、安心感が増すのだそうです。それがトロントでは誰もそんなタイヤを使わない。ほとんどが普通のオールシーズンタイヤで雪道や少し凍りかかった道をバンバン走っているので怖いとKさんは言っていました。確かにそのとおりで、私でさえ1年中、タイヤ交換なんてしたことがありません。ただ、私はカナダ生活が長いので雪道の運転はかなり慣れていますので、とにかく危ないと思ったらスピードを落とし、車間距離を十分にとる、急ブレーキを踏まないなどの常識を守ることしかしていません。まず、危ないと思ったら外に出ないことですね。

 しかし、トロントにはそのような常識を無視して雪の中を普通のタイヤでいつもと同じようにぶっ飛ばしていく連中が多いのです。これでは事故が起きるのが当たり前です。それと、世界中のいろいろな国から集まっている人々で成り立つ街ですから、中には雪なんて見たこともない人もたくさんいるわけです。そういう人たちは雪道のドライブの知識にまったく欠けています。いくら自分は慎重に運転していても、そういう連中の運転するコントロールのきかなくなった車がウロウロしているのでは、トロントの路上も危険きわまりないものになります。必要がなければ家の中にいたほうがいいということになりますね。

9月3日  ムースの話

カナダ・オンタリオ州のアルゴンキン州立公園 の名前を聞いたことはないだろうか。近年、日本の皆さんの間でも、その見事な紅葉 見物で知られ始めたようだ。東京都の約3倍(7600平方キロ)の広大な州立公園 に1000以上の湖を擁し、計2400キロにも及ぶカヌールート、無数のハイキン グトレールが縦横につながっている。

 カナダ一の都市、トロントから車で約3時間、こ の大樹林帯の中にはムースという大型動物が幅広く生息している。日本語ではヘラジ カと呼びシカ科で最大の動物。手のひら形の立派なツノを持つオスには、体重500 キロ、肩の高さが2メートルに達するような大きいのもいる。

 私の友人で昔、太平洋岸のブリテッィシュコロン ビア州の内陸部に釣りに行った人がいる。日本からカナダに移ったばかりでカナダの 事情もよく分からなかったころのこと。のんびり湖岸から釣り糸をたれていたら、何 かうしろのほうでゴソゴソ音がする。

 ヒョイと振り返ってみたら馬のように大きな4本 足の動物が彼のほうに近づいてきた。あとも見ずに釣り道具一式をかかえあげて友人 は一目散に逃げ帰った。あとで調べたらそれがムースで、ムースは普通、のんびり、 おっとりしていて熊のように危険な動物でないことが分かった。

 アルゴンキン州立公園では、公園内を横断するハ イウエー60号線を走っていてもときどき道路際でムースを見かけることがある。公 園内のビジターセンターには掲示板があって、立ち寄った旅行者、観光客などがムー スやほかの動物を目撃した場合、その目撃情報を書き込むようになっている。7月中 旬に私がそこに寄ったときも、かなりの数のムース目撃情報が寄せられていた。

 このムースだが、しばしば道路上で走行中の車と 衝突事故を起こすことが問題になっている。私のトロントの日本人の友人が先日、本 当にムースにぶつかってしまった。

 仲間とアルゴンキン州立公園にキャンプに行った のだが、彼はどうしても外せない用事があったため、夜遅くひとりで車を運転して 帰った。霧が立ち込め、視界が非常に悪かったが、時速110キロぐらいでほとんど 無人のハイウエーを疾走していた。

 何か黒い影のようなものが前方に浮かんだなと思 い、急ブレーキを踏んで多少ハンドルも切った。幸い車はスピンしないで減速し、黒 い影にはもろに衝突しなかったが、車の左側にゴスンと当たり、かなりの衝撃があっ た。黒い影は道路の左手のほうに去っていった。懐中電灯で照らしてみると車の左側 ボディーがボコンとへこんでいた。

 7月中旬には、アルゴンキン州立公園から少し南 のブレースブリッジという町で夜中の2時30分ごろ、通報を受けて出動中のパト カーがムースに激突、警官1人が死亡、1人が重傷を負った。500キロもある大型 動物に猛スピードの車が正面衝突したら車は大破し、乗っているひとの命も危うい。 ブレースブリッジの事故の場合、ムースも死んだ。

 日本の皆さんにアルゴンキン州立公園の大自然を ぜひ味わっていただきたいが、くれぐれも路上のムースにはご注意ください。         


8月17日 話題の次期連邦総督

カナダには、連邦総督(Governor-General)という名目的な国家元首がいます。もともと英連邦に所属していた国々に、英女王の名代としての名誉職的色彩が濃いポジションが遺されているのです。カナダでは、時の首相によって推薦され、英女王によって任命されます。

名目的、名誉職といっても5年(7年まで延長可)の任期の間、オタワの豪勢な公邸に住み、カナダの代表として世界のどこにでも、あるいは国内のどこへでも、納税者が納めたお金で飛び回れるのです。

このたびポール・マーティン連邦首相(自由党)が推薦し、英国のエリザベス女王が任命した次期連邦総督(第27代。9月27日就任)が、今、カナダで大きな話題になっています。

ミカエル・ジャン。48歳。カナダ建国以来、最も若い総督が誕生することになります。しかも初の黒人総督。仏語圏のケベック州では有名なテレビ・パーソナリティー、ジャーナリストです。夫君はフランス出身のドキュメンタリー映画作家、ジャン・ダニエル・ラフォン氏。二人の間に女児(6歳)が1人。ミカエルさんの出身国、ハイチから引き取った養子です。

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ミカエルさんは、世界で最も貧しい国の一つとされているハイチのポルトー・フランスで生まれました。1968年、彼女が10歳のとき、時のハイチの独裁者、デュバリエ大統領の圧制から逃れて一家がカナダに亡命しました。モントリオールに落ち着きましたが、まもなくしてミカエルさんの両親が離婚。

苦学してモントリオール大学を卒業し、イタリアに渡り、フローレンス、ミラノ、ペルージャの大学でも学びました。ミカエルさんは仏語、イタリア語、英語、スペイン語、ハイチ・クレオール語と5か国語に堪能とされています。

帰国後、1988年からカナダのNHKにあたる公共放送局、CBC(カナダ放送公社)の仏語局、ラジオ・カナダ(モントリオール)に勤務。リポーター、ジャーナリスト、パーソナリティーとしてめきめきと頭角をあらわしました。ミカエルさんがメディアの世界に入る前には、虐待を受けている女性たちを保護するためのシェルターづくりに取り組んだりしました。

ドキュメンタリー映画作家の夫、ジャン・ダニエル・ラフォンさんと共同してドキュメンタリー・フィルムの製作にかかわったこともあります。テレビ・ジャーナリズム、ドキュメンタリー・フィルムの両方の世界で、ミカエルさんは国内外の数々の賞を受賞しています。

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 なぜ、今、ミカエル・ジャンさんが連邦総督に任命されたのか。答えは単純ではありません。ケベック州から連邦総督が任命されたのは、1984年〜90年のソーヴェ女史が最後。カナダで2番目に大きな人口を擁する仏語圏ケベック州から、そろそろ次の総督を出す必要がありました。

2002年以来、マーティン自由党政権を悩まし続けているケベック州自由党の「奨励金疑惑」で特に同州内の自由党支持率ががた落ちとなっているのを、連邦政府としては看過できません。

長期安定政権の座に安住しきった自由党の腐敗体質が暴露されることになった「奨励金疑惑」は、ケベック州内の分離独立志向を抑制し、同州内の連邦体制護持勢力をパワーアップする目的で連邦政府が設立した宣伝・奨励金を、私利・私欲のためや党の選挙運動費に転用していた事実が明らかにされたものです。

ミカエルさんを連邦総督にすることで、独立志向の州内インテリ層に対する牽制効果と、州内の移民社会からも歓迎されるという読みがありました。何よりも、話題性たっぷりのミカエルさんを総督にすることで、州民、国民の胸中から奨励金疑惑の暗雲を吹き飛ばしたいという願いがあったのではないでしょうか。

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 最近になって、ミカエルさんをめぐって思わぬ事態が展開しています。

 ケベック州内の分離独立派の刊行物で「ミカエルさんも夫のラフォンさんも1995年のレファレンダム(州民投票)では、ケベック独立に賛成票を投じた。彼らはケベックの分離独立を支持していた」と書かれたのです。

 95年のレファレンダムというのは、カナダが危うく分裂するところだったまことに危機的なケベック州民投票でした。あのとき賛成派が過半数を取っていたら、今日のカナダはなかったかも知れない。その危機感から自由党政権がケベック州内の連邦体制護持派を強化し、連邦の存在をアピールしようとして宣伝・奨励金プログラムを設立したのです。

 マーティン首相がケベック分離独立主義者を連邦総督に推薦したとしたら、一大スキャンダルになる可能性があります。首相の責任が厳しく追及されることになるでしょう。

 カナダ中の政界、メディア、国民がこのミカエルさんの「うわさ」について重大な関心を示しています。「あなたはケベックの分離独立に賛成票を投じたのか?」

 現在のところ、ミカエルさんはメディアの追及を避けて雲隠れしています。これからいかなる展開を見せることになるのか。一見、何も起こっていないかのように見えるカナダにも、こんな波乱劇が起こることもあるのです。   【田中 義章】

6月1日 ミス・ユニバースはトロント娘

しばらくぶりです。いろいろと身辺多忙でゆっくりできる時間がとれませんでした。トロントの町は今、やっと長い冬から解放され、あっという間に新緑の候が過ぎ去ろうとしています。気温も25度以上に達し、晴れた昼間は真夏の日差しになってまいりました。ライラックの薄紫、白の花がふくいくたる香りを風にのせています。トロントが1年中でいちばん美しい時季ではないでしょうか。

さて、そんな折、タイのバンコク郊外からうれしいニュースが世界に向けて発信されました。05年ミス・ユニバースにカナダ代表が選ばれたのです。史上2人目のカナダ代表ミス・ユニバースの誕生です。ナタリー・グレボワさん(23歳)。しかもここトロント出身のカナダ美人です。

しかし、厳密に言うと彼女は「ロシア美人」というべきかも知れません。ロシア生まれで12歳のときに家族とともにカナダ・トロントに移住したのですから。最初はロシア語なまりの英語で学校などでも苦労したそうです、教育熱心な両親がロシアにいるころから英語の勉強をさせたり、クラシックピアノの練習に通わせたようです。もともと頭脳明晰なのでしょう、英語もネーティブと同じようなレベルに達し、トロント市内のライアーソン大学に進んで、インフォメーション・テクノロジー・マネジメントの学位を取りました。現在はモデルとして活躍しています。

トロントのいいところのひとつは、世界中のいろいろな国から来た美女たちに恵まれていること。市内の地下鉄に乗ってみれば、私の言っていることの正しさが即証明されます。ウソだと思うかたは、ぜひ一度トロントに来てみてください。

4月4日 「病院怖い」

3月半ば、カナダの公共放送局 CBCテレビが独自に取材した「病院感染の実態」の模様が放映されました。私には日本との比較はできませんが、多分、こんな唖然とするような数字は日本では想像できないと思います。

CBC取材班によれば、カナダでは毎年、病院に入院している間に(病院に入院したがゆえに)通常の抗生物質では対応しきれない病菌に感染して約8000人もの人々が死亡するそうです。そのためにカナダ厚生省は少なくとも年間1億ドルもの医療費をそのために充てているとのことです。

病院で感染するのは、C. difficile, MRSA, Necrotizing fasclitis, ESBL-producing bacteria(E.coliを含む)、VRE だそうです。年間約25万人もの患者が感染、うち8000人が死亡するという。先進国でこんなことがあってよいのでしょうか。長年にわたる医療費削減の結果が医の現場、末端でこのような恐ろしい現況を招来したのは明らかでしょう。

とかくカナダと聞くと多くのかたがたは何となくよいイメージを持たれることと思います。実際、いい面、すぐれたところも多々あります。ですが、現実には病院に入ったらかえって悪くなった、命を失ったということも起きているのです。


3月16日 トロント大学で教授65歳定年制度撤廃へ


カナダ最大の大学、トロント大学でこのほど教授、図書館司書職の65歳定年制度が撤廃される方針が決定されました。教授会などで批准されれば、今年6月30日以降、本来なら65歳定年を迎えることになっていた教授、図書館司書は、本人が希望すれば引き続きフルタイムポジションを維持することができるようになります。そのあと、段階的に勤務時間を縮小するか、退職時期を先送りするかの選択を与えられるそうです。もちろん、55歳での早期退職のオプションも残されています。

大学がなぜこのような方針変更を迫られたかというと、実際には60〜65歳ぐらいのベテラン教授たちは進行中の研究をかかえていて、学生、スタッフたちから彼らの存在が大いにあてにされているのです。本人たちも決して辞めたいと思っているわけではないのです。それと、65歳定年を押し付けると、そのように大学としても必要な教授たちが、すでに65歳定年制度を撤廃したカナダや米国のほかの大学にさっさと移っていってしまうということを恐れてもいるわけです。もちろん、まだお金が必要だと感じている教授たちもたくさんいるだろうということは容易に想像できます。

日本の大学では定年制度はどうなっているのでしょうか。

2月28日 カナダの大学の女性教授たち

人権擁護がかなり声高に叫ばれているカナダでも、大学のフルタイム教授、助教授、準教授、講師などの待遇面、パワーなどでは女性が男性に差をつけられているそうです。例えば同じような資格の教授、助教授などを比較すると男性のサラリーが女性のよりも5%ほど高いそうです。また、教授、助教授、準教授などになっている女性は全女性大学教職者の58%だそうですが、男性だと80%以上だといいます。

しかしながら、カナダ全国の大学の教職者のうち女性の占める割合は、1990年から2003年の間に50%以上の伸びを示し、約1万1000人になりました。全大学教職員の約30%が女性になっているそうです。大ざっぱに言って、最近、大学で採用される教職員の10人のうち4人は女性です。以上の統計はカナダ政府統計局の発表によるものです。

2月18日  NHL 全日程キャンセルの愚挙

ナショナルホッケーリーグ(NHL)機構が昨年9月からNHL選手協会(組合)をロックアウト、04〜05年シーズン開幕からずーっとすべての試合がキャンセルされたままの状態が続いていました。最大の争点はサラリーキャップ導入の問題です。リーグ30チームのオーナーたちは、収益のうち選手のサラリーが占める部分が高すぎる、このままではつぶれてしまうとしてさらりーキャップの導入が必至と訴えます。選手協会側は、「オーナーたちの報告する収益の数字は疑問だ」と主張してサラリーキャップ導入には絶対反対の姿勢でした。

お互いに意地の突っ張りあいではらちがあかないと思われていましたが、このバレンタインデー週末にそれまでの水面下の交渉がにわかに効果を表し、選手協会側がサラリーキャップを受け入れてもいいと言い出したのです。それで超短期レギュラーシーズン(28試合)、プレーオフを実施して何とか変則04〜05年シーズンの実現なるかと思われたのです。しかし、最終的に1チームあたり年俸総額4250万米ドルとする機構側提案を選手協会が受諾しなかったため、2月16日午後、ベットマンNHL機構代表が「今シーズンの全日程キャンセル」を発表しました。

もともと億万長者のオーナーたちと億万長者の選手たちの意地の突っ張りあい、欲の突っ張りあいと一般のファンたちからは冷たく見られていた今回のロックアウトでした。前の米大リーグのストライキのあと、ファンが戻るまでに10年はかかったと言われています。それは米国の話でトロント、モントリオールの場合はいまだにその後遺症から回復していません。アイスホッケーの場合、根強いファンがたくさんいるカナダは多分、ファンの回帰現象がみられると言われています。問題はほかに選択肢がある米国のほうです。もともとロサンゼルスやフェニックス、フロリダなどの暖かい地方のチームは集客に苦労していました。このロックアウトで完全に嫌気がさしたファンは再びアイスホッケーに戻ることはないと懸念されています。

2月7日 トロントからスカイドームがなくなる?

スギケンさんにもおなじみだった大リーグ、トロント・ブルージェイズの本拠地、「スカイドーム」が2月2日付でなくなりました! ちょっとセンセーショナルな書き方をしてすみません。これは建物がなくなるという意味ではなく、名前が変わるということなのです。新しい名称は「ロジャース・センター」。新しいオーナーの名前がテッド・ロジャースというひとで、ロジャース・コミュニケーションズというカナダの大手遠距離通信、コミュニケーション、ケーブルなどの大企業の社長さんです。

16年前に完成、公募して名づけられた「スカイドーム」という名前がすっかりなじみのあるものになったので、ロジャース・センターという耳慣れぬ名称に慣れるまでかなり時間がかかりそうです。日本サイド、あるいはトロントでも日本人観光客を受け入れる観光関連産業の会社などでは、この名称変更で大迷惑をこうむっているのではないでしょうかね。地図や観光案内など、皆、刷りなおしでしょ、きっと。

名称変更を機に、これまでファンにおなじみだったソニー(ですよね?)のジャンボトロンを最新のものに取り替えるそうです。それと、グラウンドの人工芝ももっとやわらかいのに変えるそうです(モントリオールの人工芝製造会社)。

ついでに、ブルージェイズそのものももっと強い、勝てるチームに変えてほしいもんです。

12月17日 カナダの婦人警察官


カナダ統計局が12月16日発表した数字によりますと、2004年にカナダ全国の各警察に計約1万人の婦人警察官が任務についているそうです。全国平均で6人の警察官のうち1人(約16.5%)が女性ということになります(前年比6%増)。州別に行きますとバンクーバーがあるブリティッシュコロンビア州がいちばん多く21%の警察官が女性だそうです。トロントがあるオンタリオ州は全国平均を少し下回る16.1%です。

1965年にはカナダ全国で婦人警察官はわずかに0.6%。85年に3.6%、2000年には13.7%に達しました。

確かにトロントの街でも、女性警察官をよく見かけます。以前は警察官の募集要項に一定の体格基準が設けられていましたが、人権尊重のカナダでは「差別的」だとしてほとんどの人が応募できるような基準になっているようです。そのため、よく小柄な女性警察官を見かけますが、正直言って「大丈夫かな」と思うことがあります。体の大きい男を相手には闘えないだろうと思ったりします。拳銃を奪われたりしたら大変な事件に発展しかねません。やはり、おまわりさんは大きくて強そうなのがよいのでは‥‥。私は決して差別的な人間ではないと思うのですが。

12月15日 グレーテスト・カナデイアン


11月末のことでしたが、カナダの国営放送CBCテレビで一種の国民投票(電話、オンライン、テキストメッセージ)による「グレーテスト・カナディアン」コンテストの最終回が放映されました。このシリーズはその前からずーっとやっていたのです。最初に候補者を選び出したのですが、これも電話、オンライン、テキストメッセージで募ったところ14万人もの候補の名前が挙がったそうです。「自薦」の数も相当あったのかも知れませんね(笑い)。数の多い順に100人に絞り、さらに上位10人が選び出されました。このコンテストは故人でも現在活躍しているひと、歴史上の人物のいずれでもかまいません。

これら10人の候補者にそれぞれ弁護人(皆各界の知名人)がついて、なぜこの人物がグレーテスト・カナディアンなのかを視聴者に向かって説得するドキュメンタリー番組が放映されました。そして、最終回に全弁護人が一堂に会し、観客の前、視聴者の前で最終弁論を行いました。それまでも毎日、国民(視聴者)からの投票が実施され、最終回後にもさらに投票が続けられ、最終的に120万人ものカナダ人が投票して最終結果が出ました。

1位はカナダが世界に誇る国民医療保険制度(メディケア)の父とされるトミー・ダグラス(故人)。牧師、伝道者から政界入り。元サスカチワン州首相。北米唯一の社会民主主義政党、新民主党初代党首。2位テリー・フォックス(故人)。ガンで片足切断後、ガン研究資金を集めようとカナダ大陸横断のマラソンに挑み、帰路、死去した若者。3位ピエール・トルドー元首相(故人)。若い女性の追っかけ集団ができたほどのダンディーな政治家。ケベック出身の熱心な連邦主義者。4位フレデリック・バンティング博士(故人)。インスリンの発見者。5位デービッド・スズキ博士。日系カナダ人の遺伝学者。環境保護活動家。CBCの人気ドキュメンタリー番組ホスト。6位レスター・ピアソン元首相(故人)。国連平和維持軍創設に貢献しノーベル平和賞受賞。7位毒舌で知られるホッケー評論家、ドン・チェリー。8位カナダ建国の初代首相、ジョン・マクドナルド(故人)。9位電話の発明者、アレクサンダー・グラハム・ベル(故人)。10位アイスホッケーの元スーパースター、ウエイン・グレツキー。

もし日本で同じ企画を実施したらどういう結果になるでしょうか? 多分、坂本竜馬はトップクラスに入るのでは? 私の好きな宮沢賢治も上位に入ってほしいですね。


11月4日 カーロス敗戦 

先日、北海道の若い友人からビデオテープが送られてきました。10月14日夜、大阪城ホールで行われたプライド武士道5のスカパー完全録画版です。スギケンさんのサイトには格闘技好きのかたはまず訪れることがないとは思いますが、このビデオは私にとっては永久保存版とも言えるものなのです。

その夜の第6試合はトロント在住、私の義理の息子ともいうべきカーロス・ニュートン対長南亮選手の対決でした。長南は山形県出身で普段は大工さんをやっているもともと極真空手出身で今のぼり調子のファイターです。この試合でカーロス側の付き人(あるいはコーナーボーイ)として、私の息子が登場したのです。息子は9月中旬、トロントを発って東京に行き、2週間ほどして幸いなことにフルタイムの英語教師の仕事に就くことができました。うまい具合に14日をはさんで3日ほど休みが取れたので息子は生まれて初めて新幹線に乗って大阪に飛びました。そして親しいカーロスと、今回マネジャー役でカーロスに同行したこれまた親しいティムに再会、14日の試合では選手入場の際、ティムと並んで息子がカーロスのあとについて入場してきました。こういう情景がみんな映っているのです。

東京のひとり暮らしで外食ばかりでさぞやブクブク太っているのではないかと危惧していましたが、画面上の彼は意外にしまっているように見えました。試合はのちにその夜のベストファイトの一つといわれるほどの好試合でしたが、カーロスが判定負け。勝ってくれていたら、息子にとってはそれはそれはすばらしい想い出になる一夜となったことでしょう。敗戦は敗戦でそれなりにきわめて印象的な経験だったことは間違いありません。試合後、ティムと息子とでカーロスを両側からかかえるようにして退場していく姿がしばし映されていましたが、カーロスを慰めるために彼はティムとともにそこにいたということでそれは忘れられない出来事だったと思います。

10月12日 カーロス、ブライド武士道参戦

すっかり遅くなってしまいましたが、トロントの私の自称義理息子、カーロス・ニュートンがプライド武士道5に参戦するため、現在、大阪入りしています。試合は14日(木)。これがアップされるころには多分、試合は終わっているかも…。対戦相手は長南亮選手。今、日本では将来が期待されているファイターです。

この試合に私がことさら関心を持っているのにはわけがあるのです。私の息子が現在、東京に滞在していまして、両親の生まれ育った国でニューライフにチャレンジしているのです。彼は日本語の読み書きはまったくだめ。会話もほんの初級レベルです。今日でちょうど1か月経過しましたが、どんな苦労を重ねてきていることやら…。

息子はカーロスと今回マネジャー役でともに大阪入りしているティムの両人と親しくしており、武士道5の試合当日にはぜがひでも大阪に行くとはりきっていたのでした。勤めはじめたばかりの英会話学校で都合よく休みがとれるものかといぶかっておりましたが、幸いフレックス勤務の自由がきくところらしく、クビにならずに休めるようです。カーロス、ティムも息子と大阪で再会できることをとても喜んでおり、試合のときは息子にコーナーボーイになるよう言ってくれました。リングの真下で観戦できるわけですね。もちろん、見るだけでなくコーナーボーイとしてやるべきこともありますが。要するにニュートンチームのスタッフの一員に加えられるわけで、息子としては最高に幸せな経験をすることになります。選手入場のときには、息子もカーロス、ティムといっしょにリングに向かって行進することになるかもしれません。

愚かな親父としては、我がことのように興奮しているのです。


9月17日 旅立ち

私事ですが、私どもの息子が9月12日(日)、東京に旅立ちました。

生まれてこのかた26年もの間、両親の保護のもとぬくぬくと育ってきたのですが、ついにその保護下から離れていきました。それもほとんど言葉の通じない両親の母国、日本に行きました。「多分、2年ぐらいは行ってくる」と言っています。なぜ急に日本で暮らす気になったのか、よく分かりません。若いうちにいろいろ経験してみたいという気持ちなのですが、そのなかにたまたま両親の生まれ育った国に住んでいろいろな経験をしてみたいと思ったのでしょうか。これまで3年ほど、トロントでグラフィックデザインの仕事をしてきました。とてもいい経営者のもと、けっこう満足して仕事をしてきていたようですが、そこを辞めてはっきりとしたあてのない東京に移っていきました。

英語を教えながら生計を立てたいということで、週末短期集中型の英語教師養成コースを取りましたが、どれほど役にたつのか、親としてはやや心配ではあります。トロントで知り合った日本の若者たちや親戚、友人たちが今のところ息子をサポートしてくれる小さなネットワークです。現在、息子の友人宅に世話になりながら仕事がみつかるまでの暫定的な住まいを探しているところです。何もかもが初めて体験するようなことばかり。それも十分に意思の疎通ができない日本語環境下で起こることですから、どんな事態になっていることやら…。心配したらキリがないので、心配しないことにしています。

Eメールが数回来ましたが、かなりのカルチャーショックを受けているようです。デジカメのすごいのがそろっているのには驚嘆していました。親戚の者が「電話をくれたけど、初めから終わりまでりっぱな日本語だった」とメールをくれましたが、正直なところ、それには驚いています。

8月24日 日本の若者

アテネ夏季五輪、カナダのトロントでもエンジョイしています。日本が大活躍ですね。こんなに強い日本を見るの私の人生で初めてじゃないでしょうか。残念ながら、トロントでは日本選手の活躍ぶりをテレビで見ることはあまりできません。カナダの公営英語放送(CBC)、同仏語放送(フランス語が分かるわけではありません。映像を楽しむだけ)、米NBCの3局をリモコンでジャンプしまくってますが、何といってもカナダの局はカナダ人選手優先。米国の局では米国人選手優先。私の好きな格闘技系はほとんど放映されず、ふんまんやるかたなしです。カナダ選手団の旗手を務めた柔道のニコラス・ギル選手は初戦で一本負けしてしまい、ほとんど何も放映しません。もっとも絶対の金メダル候補とみられていた日本の井上康生選手でさえよもやの一本負けでしたね。テコンドーもレスリングもほとんど何も見せてくれません。かろうじてボクシングですが、カナダはあまり強い選手がいないのでおもしろくないです。

日本の若者たちがたくましく育ってきているのかなと思います。実は、最近、トロントで日本の若者3人たちと仲良くなっています。3人いっしょに来たわけではなく、2人の友だち同士の男子大学生と1人の女子大学院生が縁あって私たちの知人宅でやっているB&Bに同宿することになったのです。女子大学院生はスギケンさんの紹介、2人の男子大学生は、2年前に1年近くトロントに滞在したことのある私たちの知人の大学の先生の教え子。私とワイフはこの3人を例のトロントコリアンハイキングクラブのトレッキングに連れていったのです。そうしたら、3人ともすっかりはまってしまったのです! 

今まで何人かの若者たちを誘ったことがあります。たいていの場合、1回きりで、また行きたいと言ってくるひとはいませんでした。土曜の朝、早起きして4時間、15〜20キロの山歩きですから、半端ではありません。韓国の人たちは皆さん、ひたすら早歩き専門です。あ、いい景色だなどと歩みを止めて眺めたり、写真を撮ったりなどということはまずありません。この若者3人は、ベテランハイカーのはずの私などとても追いつけないペースではるか前方を行っています。このクラブは97%ぐらい韓国人で構成されていますが、若者たちは彼らともうちとけて話しています。クラブの規則で初参加のランチタイムに皆の前で自己紹介をして歌を歌うことになっていますが、それもちゃんとやりました。

このような若者たちが加わったので、私たちもますます楽しくトレッキングに行けるようになっています。

7月2日タンゴ顛末記

ワイフになかば強制的に導かれて不承不承始めたタンゴレッスンでしたが、2回めになってオチョス(ochos)とかいう新しいステップが入ってきました。会場は前と同じトロント市南東
部にあるダンフォース街というギリシャ人の多い地区にあるいバプテスト教会の地下ホール。余談ですが、今ポルトガルで開催中のサッカー欧州選手権で穴馬のギリシャチームが大活躍、
ついに決勝戦に進出、ポルトガルと対戦することになったので、トロントのギリシャ人地区は大騒ぎです。青と白のギリシャ国旗を車にたなびかせて走っている車がたくさんいます。もちろん、ポルトガル系もたくさんトロントに住んでいますから、彼等の国旗をつけた車も多いです。アテネ五輪でもきっと各国の国旗をつけた車が町中を走りまわることでしょう。

さて、タンゴの話ですが、オチョスというステップはうまい女性が踊っているのを見ると実にいいんですね。特にアルゼンチン美人の先生、ブレンダさんが相方のエリアスさんと踊ってい
るのを見ていると、あの何とも言えずに女性的で流麗な動きに魅せられてしまいます。文章ではうまく説明できません。あれはやはりタンゴを聞きながら実際に見ていないと味わえない感
覚ですね。

ところが私とワイフがオチョスの練習を始めたのですが、これがかなり絶望的な状態だということはすぐ判断できました。その前週のごく基礎的なサリダ(salida)というステップでも私
たちのペアはさんざん苦闘していました。ワイフの足が私の左足にぶつかってきますと(本当はありえないことなのですが)、ついつい私の足は柔道の足払いのステップになってしまうの
です。もともと私はダンスよりも格闘技を好む者ですから、タンゴレッスンは間違った選択だと今でも思っています。次の週はギロス(gilos)とかいうターンの練習だと聞かされていよ
いよ憂鬱になっていました。柔道で行くと足払いから払い腰か体落としに移行するのかと危惧していたのです。

あまりいいことではないのですが、そんな折り、ワイフがちょっと体調を崩しました。過密、過重スケジュールが重なったせいだろうということで少しスローダウンしようということにな
りました。タンゴレッスンは今のところ休みましょうという結論になり、私は安堵の胸をなでおろしているところです。

ブレンダ先生に会えないのはちょっぴり寂しいですが‥‥ 。

6月16日 タンゴ

昨夜(6月15日)、前から友人のカナダ人夫妻に勧められていたダンスレッスンとやらに初めてワイフとともに行ってきました。コミュニティーの催しみたいなもので古い教会の地下にあるホールでやっています。家から車で30分ほど南に行ったダンフォース街というギリシャ系の人たちがたくさん住んでいるエリアです。

その集まりはなぜかタンゴ一本槍だそうです。それもアルゼンチンタンゴ。わたしども夫婦はダンスなどまったく無縁な者だったのですが、友人たちの口車に乗せられた感じで初めてチャレンジするのがよりによってタンゴとは…。どう見てもタンゴはやさしそうではありません。普段は1人8ドル(640円ぐらい)のレッスン料金ですが、今週からしばらくアルゼンチンから来た男女の先生が特別に教えてくれるということで一人10ドル(800円ぐらい)に。でもこの料金で、夜7時30分から8時30分までの初級、8時30分から9時30分までの中級、9時30分から10時30分までの上級のどのクラスにも出られるのですから良心的。しかも、初級の者が中級、上級に残ってもいろいろ教えてくれるということですので、何と寛容なクラスでしょう。

アルゼンチンから来た男女の先生というのがじつにかっこいいのですね。年のころ30〜35歳ぐらい。女性は魅力的な美人です。男の先生は英語がほとんどだめでスペイン語中心。女の先生がおもにしゃべりをやります。初級クラスではまずタンゴのリズムに慣れることと基本のボックスステップ。どうもタンゴは4拍、4拍の8拍リズムなんですね。でもどこから最初の第1ステップに入るのかがどうもつかめないのです。カラオケで歌の導入部にうまく入れないのと似たようなものです。

きょうはもう時間がきてしまいましたのでこのへんで。また続きは書きます。

4月21日 ホッケー熱

トロント炎上中です。というか、今やカナダ全体がホッケー(カナダではホッケーといえば自動的にアイスホッケーのこと)熱にうなされている状態です。NHL(リーグ)のプレーオフ第1ラウンドが4月20日夜、終わり、わが町、トロントのトロント・メープルリーフスが宿敵オタワ・セネターズを4勝3敗で破り、第2ラウンド(ベスト8)進出を果たしました。第2ラウンドでは、昨季、プレーオフ第1ラウンドでメープルリーフスを破った強豪フィラデルフィア・フライヤーズと激突します。

モントリオール・カナディアンズは西部カンファレンス第7シードで、同第2シードのボストン・ブルインズとぶつかり、1勝3敗の窮地に追い込まれました。しかし、それから見事に3連勝して逆転勝利。同チーム95年の歴史で初めての快挙だそうです。カナディアンズは第2ラウンドでは第1シードのタンパベイ・ライトニングと対決。

バンクーバー・カナックス対カルガリー・フレームズの西部カナダチーム同士の対決は、やはり3勝3敗にもつれこみ、最終第7試合のサドンデス延長ピリオドでフレームズが制しまた。フレームズは第2ラウンドでは第1シードのデトロイト・レッドウィングスに挑戦です。

こんなわけで、今、カナダは連夜、ホッケー試合のテレビ中継で大騒ぎなのです。昨夜のトロントダウンタウンは試合終了後、繰り出したファンの歓声や行き交う車のクラクションで大変うるさかったようです。

4月6日 3000万ドル大当たり

スギケンさんが駆け足でトロントに来られてから、あっというまに1か月過ぎてしま
いました。ひさしぶりの再会だというのに、最初からトロント空港で大チョンボを
やってしまいました。エアカナダでてっきりバンクーバー経由という思い込み被害に
かかり、到着便の出口Dにずーっと張り付いていました。1時間近く張り込んでも先
生がいっこうにお見えにならない。おかしい、おかしいとウロウロしまくりました
が、まさかおんなじころに先生は米国便の出口Aでやはり1時間近く我々をお待ちに
なっていたのです。しびれを切らしたスギケンさんがついにタクシーをひろって宿に
向けて出発。そのころ私もやっと宿に電話したところ、「たった今、先生から電話が
あった。まだそこらへんんにいるんじゃないん」と言われ、飛び出してみたものの、
出口Aと出口Dはだいぶ離れていたし、「A」で待っておられたという考えがなかった
ので先生は見つかりませんでした。ともあれ、同じ間違いは再び犯さないつもりで
す。

4月1日、エープリルフールに日、オンタリオ州プリンストンという片田舎に住むレ
イモンド・ソベスキーさんという40代半ばの男性が昨年4月11日抽選の「ロッ
トースーパー7」という宝くじのジャックポット、3000万ドル当たったと正式に
名乗り出ました。控えめに換算しても2億4000万円ぐらいでしょうか。個人で当
たった宝くじの賞金額としてはカナダで史上最大の賞金です。1年以内に換金しない
と当たりくじはただの紙切れになってしまいますから、あと12日遅れたら1ドルにも
ならなかったわけです。

なぜ、名乗り出るのを1年近く遅らせたのか? 多くの人々のやっかみ半分でいろい
ろな説が飛び交っています。ただどうしても分からないのが、昨年4月の発表直後に
名乗り出て3000万ドル受け取り、銀行の定期預金にでも入れてゆっくり考えていた
ら、何にもしなくて(金利2%として)黙って60万ドル(約4800万円)増えてい
たことになるんですけどね。利殖の専門家などは、手堅い投資をしていたらもっと
もっと増やすこともできたのに…などともったいながっています。

コンピューター修理の自営業を個人でやっているというソベスキーさん、その後のメ
ディア報道でどうも過去に2回離婚していて、3度目の奥さんとも離婚手続きを進め
ているところだったらしいのです。3度目の奥さんはまだ離婚手続きに署名していな
いようですね。ソベスキーさんは「早まって無分別なことをしたくなかった」と言っ
ているそうです。それで、弁護士やファイナンシャルアドバイザーを雇って慎重を期
したというんですが。要するに、元妻、現妻などからの追及からどう身を守るかとい
う点に腐心して、名乗り出ることを先送りしていたんでしょうかね。

突然ふってわいた大金で、その後の人生がはたして本当に豊かで幸福なものになるか
はにわかには分かりませんね。

2月12日 オーバーウエイト

カナダのハート&ストローク基金というところが発表した声明によりますと、カナダ
人の約50%がオーバーウエイト、約14%が肥満(英語のobese)だそうです。同
基金のスポークスパーソンであるトロントの心臓専門医、グラハム博士は「肥満、
オーバーウエイトの問題が今やタバコに取って代わった」と警告しています。

1970年以来、成人の肥満は50%増、子供の場合は3倍増。反対に喫煙率は現
在、25%に減っており、30年前に比べて半分以下になっています。嫌煙運動が効
果を発揮して病気のリスクが大きく低下したのに、肥満、オーバーウエイトがこんな
に増えたのではまったく意味がないとグラハム博士は嘆いているそうです。

要するに大盛りジャンクフードの氾濫と、運動不足に尽きると思います。寿司、豆腐
などの日本フードも相当の人気になっていますが、まだ一部のヤッピーな人々が中心
です。ドーナツチェーンが大はやりです。一部の目覚めた人々は大変熱心に運動をし
ています。ワイフが行っているYMCAなどいつもいっぱいの人々です。

私自身も毎週土曜朝のコリアン・ハイキング・クラブのハイキングにワイフとともに
参加しています。平均15〜20キロ歩きます。ほかに1月から昔やっていた柔術
(ブラジリアン柔術)を復活させ、週2〜3回行ってます。これだけやってもなかな
か体重は減らないですね。先日、心電図(簡単なもの)をやったら「一応もっと精密
な心電図を」と医師に言われちゃいました。明日、ウイメンズカレッジ病院に 
eco-cardiogram というのをやりにいきます。

1月12日 厳寒
きょうは朝からマイナス2度ぐらいでまったく楽なものでしたが、きのう、おとといと北米東北部一帯を襲った大寒波の影響で、トロントもマイナス22〜26度ぐらいになりました。体感気温ではマイナス36度ぐらい。今冬第一の厳寒ぶりでした。
1月10日(土)は早朝からいつものブルース・トレール・ハイキングにワイフとともに参加。前にお話ししたトロントのコリアン。ハイキング・クラブの定例サタデーモーニングハイキングです。朝からマイナス22度。幸い無風状態で快晴。すばらしい天気でした。どういうわけか、ものすごく寒い日はこのようないい天気になりますね。あんまり寒いと雪も降りません。この寒さでは出足もにぶるかなと思いましたが、いつもとそんなに変わらない40人ぐらいが参加しました。トロントの西にある工業都市ハミルトンのさらに郊外、アンカスターのブルース・トレールを15キロほど歩きました。トレールはうっすらと雪が積もっていますが、アイゼンなしで転倒せずに歩けました。かなりのサイズの滝があるのですが、完全に全面凍結状態でした。トロント周辺には韓国出身の人が10万人以上居住しているといわれます。ワーキングホリデーや学生の数は多分掌握できないでしょうから、実数はもっと増えると思います。私どもの住んでいるノースヨーク(トロント北部)は、新しいコリアンタウンになりつつあります。お店の看板にハングル文字が目立ちます。リタイアしてから夫婦で移住する人たち、高校生、大学生などをカナダに送ってゆくゆくは定住させ、親たちもあとで合流というケースもかなりあるようです。韓国でビジネスをやってトロントにはコンドミニアムを買って子供(学生)を住ませ、親は2国間を行ったり来たりというのもあるようです。


ともかく、韓国の人たちのバイタリティーには圧倒されます。

12月16日「ラスト・サムライ」

トロント・ノースヨークの映画館で12月14日午後、話題の映画「ラスト・サムライ」を見ました。非常に珍しいことですが、我が家全員で行きました。椿事です。ほかに、日本の「プライド」で人気のある総合格闘技選手、カルロス・ニュートンと彼の友人たちも一緒でした。

いやあ、私はラスト・サムライに泣けましたね。歳のせいでしょうか。渡辺謙ってすごい俳優ですね。最後の彼が死ぬところと、彼の親戚にあたる若者が死ぬところなどに特に泣けました。死ぬところにやけに敏感になってきているのかな。トム・クルーズも大熱演でしたが、渡辺謙が完全にクルーズを食ってましたね。殺陣、戦闘場面の迫力には圧倒されました。大画面、音響抜群の劇だったので満喫しました。

細かいことを取り上げると、いろいろ言いたくなるところもありますが、そういう些細な欠点は皆帳消しにしてしまう「勢い」があると思いました。渡辺謙はアカデミー賞ものですね。

スギケンさんが内田康夫のことを書いていましたが、私も最近、日本からトロントに帰ってこられたご夫人からどさっと彼の新書判作品をいただきました。通勤の地下鉄で読んでいます。内田さんの作品は健康でいいですね。それと何といっても私の生まれ故郷、東京都北区西ヶ原の同郷のよしみですからうれしくなります。いつか何とかして彼とコンタクトしたいんですよね。スギケンさん、何かいい知恵はないですかね?

11月18日 脱帽!

スギケンさんの不定期日記、11月16日疲れましたを拝読して脱帽でした。
4人の若者相手に奮闘しているコンビニのおっさん救援のために、ただひとり
前に出たスギケンさんの勇気ある行動を称えます。私がそこにいたとしても、一人ではやはり遠巻きの群衆のなかに埋もれていたことでしょうね。私は当地トロントで、総合格闘技の人気ファイター、カーロス・ニュートンとトレーニングできるという恵まれた状況にありますが、それでも「危ない状況」には身をおきたくないです。逃げるが勝ちです。

でも、スギケンさんが「強くならなくちゃ」と思ったというのはよくわかります。いざというとき(正当防衛とか、けんかの仲裁に入るときなど)やられっぱなしでは危ないです。相手を傷つけるようなことは誰もしたくないでしょうが、少なくとも相手をコントロールする、攻撃を抑止するようなテクニックは知っておくほうがいいかも知れません。

人間が極度に興奮している状況下では、何が起きるか予測できない部分があり怖いものです。スギケンさんが仲裁に入ったコンビニ店前でのもみあいでもちょっとしたきっかけで暴力沙汰に発展しかねませんし、ナイフなどの凶器が出てきたりするともう素人が抑制できる場面ではありません。当然、警察に緊急通報して警官に取り押さえてもらうしかないのですが、そんなゆとりもない場合もあるでしょう。いざというとき、我々は適切な行動を起こせないものです。日ごろからのトレーニングとか場数を踏むということが役に立つのでしょう。

先週、11月13日、当地のトロント日系文化会館で「トロント寄席」というのが開かれ、桂歌丸師匠の「火焔太鼓」を聞きました。歌丸さんも昔、「笑点」に出ていたころのポマードべたべたのとんがりヘアスタイルは見られず、めっきり老けておられましたね。旅の疲れか、声にもつやがありませんでしたが、芸のほうはなかなかすばらしかったです。あと、英語落語の三笑亭茶楽さんの「芝浜」、紙きりの林家今丸さん、若手の桂歌若さんの「つぼ算」。ひさしぶりにイキのいい東京弁を聞いて大いに笑いました。

杉本健郎追加 すみません。気をつけます。本日夕刊に喧嘩の仲裁にはいった人が刺されて重症になっていました。

11 月11日市長選挙

11月10日(月)、オンタリオ州統一地方自治体首長/議員選挙が一斉に実施されました。トロント市では名物市長だったメル・ラストマン市長が引退で後任市長の選出でした。
5人の有力候補に早くから絞られ、最終的にデービッド・ミラー、ジョン・トリー両候補の一騎打ちになりました。ミラー氏はハーバード出の弁護士でトロント市議を9年間務めた優秀な人材で44歳。社会民主主義系(カナダでは最も左翼)の新民主党のバックがありますが、カナダの地方選挙では政党カラーはいっさい出ません。対照的なトリー氏はビジネスマンでロジャースケーブルという巨大なメディア・通信企業のCEO(最高経営責任者)だった人物。確か49歳だと思います。

結果的には28万5000票以上、44%の得票率でミラー候補が制しました。トリー候補は25万票ちょっと、38%の得票率で次点でした。大きな争点は、オンタリオ湖のセントラルアイランドとトロントウオーターフロントを直結する橋を築いて、同アイランドの飛行場を拡充するという計画とトロント市警警官増員。ミラー候補は、橋建設と飛行場拡充はトロントダウンタウンの健全な発展とマッチしない、環境破壊を進めるなどの理由で反対。トリー候補は市の発展のために必要として賛成。トリー候補は市民の安全を守るためにただちに警官400人増員を公約。ミラー候補は治安確保は別のやり方で進める、400人も警官を増やせる財政的ゆとりはないと反対。

日本の状況はわかりませんが、夜8時に投票締め切りで8時12分ごろにはテレビでもう「次期市長はミラー氏」と発表しているのには驚きました。もう50%ほどの投票所の開票結果が出ているのです。コンピューターの偉力ですね。

トロント西郊のミシサウガ市には、ヘーゼル・マカリオン市長という「怪物女性市長」がいます。私も前にインタビューしたことがあります。今82歳。10日の選挙では92%の得票率で堂々の10選を達成しました。カナダで最初のプロ女子アイスホッケー選手を自称していますが、元気いっぱいです。実にシャープな頭脳の持ち主で、スピーチでは原稿なんか読みません。むずかしい言葉はいっさい使わない。センテンスは短く簡潔。長くしゃべらない。すばらしいパブリックスピーカーです。こういう政治家、市長さんには定年はいりません。いつまでもやっていてほしいもんです。

10月17日 マッタケ、シャンカール

すぎけんさんのまったけの話を拝読して、ああ、日本の山里でもまだまったけの
採れるところがあるのかとしばし感慨にふけりました。土台、私は東京者ですから、日本にいたころにはまったけにはまったく縁がなかったのですが、カナダにやってきてバンクーバーに住んでいたころ、「マツタケ」に出会ったんですね。

車で1〜2時間走るともう至るところ原生林。バンクーバー郊外は自然に恵まれていました。道なき道の森のなかに踏み入り、木々の根っこ近くにフォーカスを合わせ、落ち葉などが異常にこんもり盛り上がっているところを手でかきわけると純白のマツタケが神々しく顔を出しています。あの興奮。一つあると大抵その周囲にいくつか群れているのでもうワクワクです。ところで、すぎけんさんの日記を読むと日本では根こそぎ抜いてしまうのですか? カナダではよく「根こそぎ抜いてしまえば、それ一代でおしまい。刃物で茎の途中から切ればまた来年も出てくる」と言われていて、私もそうしたもんです。

バンクーバー付近ではマツタケがあまり見つからなくても、ヨーロッパ系の人たちが大好きなちょっと黄色っぽい「シャンテレル」というきのこがけっこうあるのです。これがまたおいしいのです。ヨーロッパ系の人たちにとってはこのほうがマツタケよりもいいといって交換してくれたものです。我々が採ったマツタケは日本のよりも大きかったですね。かさが開ききったものなどは、赤ん坊の顔よりも大きく、味は多少落ちますが食べでがありました。ま、これは大分昔の話です。トロント周辺ではそういう楽しみはありません。韓国の人たちはハイキングに一緒に行ったときに、なんかよく分からないきのこをけっこう見つけてきますが、はたして安全に食べられるのでしょうか? 彼らもよく分からないみたいですが…。

昨夜(10月16日)、トロントダウンタウンのロイ・トムソン・ホールという大きなコンサートホールで「ラビ・シャンカール」公演を聞きました。ラビ・シャンカールと娘さんのアヌーシュカがシターであと二つのタブラー、タンプーラーが加わります。ラビ・シャンカールは83歳ですよ!!! 多分、私にとっては生きて見られる最後のチャンスかも。でもすばらしいシェープだし、顔も生き生きして輝いています。大きなシターを抱えて2時間以上演奏しました。アヌーシュカは絶世の美女。たしか23歳ぐらいだから、父が60歳ぐらいで生まれたはずです。すごい。アヌーシュカのシターもすばらしいものです。

実は、ラビ・シャンカールが本当は春にトロントに来ることになっていたのですが、例のSARS騒ぎで公演が中止になってしまったのです。そのころ、私の勤務する新聞の記事にしようと思ってプロモーターに頼んでカリフォルニア州に住むシャンカールに電話インタビューしたのです。まさか実現するとは思っていなかったのですが、ある日、プロモーターから「ここに電話してごらん」と番号をもらったので、テープレコーダーを用意して電話しましたら、本物のシャンカールが出てきました!! 15分ぐらい話しましたかね。「トロントで公演するときは、演奏後に楽屋に来なさい」とまで言ってくれたのですが、にっくきSARS騒動のためキャンセル。実現しませんでした。今回の公演でもインタビューを申し込んだのですが、「今回インタビューはいっさいしません」とプロモーターに言われがっくりでした。

9月18日  11万キロは青年期

スギケンさんの不定期日記拝読。マイカーの話、興味しんしんです。
スギケンさんがベンツに乗ってらっしゃるとは知りませんでした。
11万7500キロというのは、カナダでは「青年期」ですね。
わたしのアキュラ・ヴィゴーは92年型で18万2000キロ近く走ってますが、まだまだ超健在です。トロントでは冬になると路面凍結防止のため、塩を道路にばんばん撒きちらすため、長く走っているとエンジンはしっかりしていてもボディーにガタがきてしまいます。その点、最近は車体の塗装もよくなっているようですし、車体の下の部分にコーティングを施して錆びつかないようにする技術もよくなっているようで、18万キロ以上走ってもグッドシェープを保っています。よ〜く見るとところどころ錆びが出ていますが、遠目にはきれいなもんです。事故ったらおしまいですけどね。

トロントでは、特に日本車は長持ちするという定評があります。したがって、中古車市場でリセール・バリューが高いので有名です。Resale Value は、再販価値とでも訳すのでしょうか。一例として、例えば日本から1年ほどトロントに滞在される方が来るとします。
中古車販売店で7万キロぐらい走ったトヨタカローラを買うとします。多分、1万ドル(約80万円)以下で買えます。1年ぐらい走るのでしたら、事故らず、きちんとオイル交換などをしていれば、まずノープロブレムのはずです。仮に1年で2万キロ、走ったとします。日本帰国の際は、走行キロ、9万キロですね。これを自分で新聞広告などを出して売るとします。わたしの予測では8000ドル(約64万円)ぐらいで売れます。そうすると、2000ドル(16万円)で1年間、乗りまわせるということになります。(もちろん、プラス保険、ガソリン代ETCですが)

リセール・バリューが高いのは日本車の強みです。アメ車ではこうは行きません。10万キロ超えたアメ車はバリューががたっと落ちます。日本車は15万キロぐらいまでけっこういいバリューを保っています。最近、よそに越していった隣人一家は、古いホンダ・シビックを長く大事に乗っていました。なんと30万キロ以上走ったそうです。ときどきそういう猛者に出会います。ベンツの11万キロなんていうのは、まだまだ青年期ですね。オイル、フィルター交換は5000キロごとにやっていますか? 長持ちするはずですよ。

信用できる腕のいいメカニックを見つけることは大事ですね。北米の有名な調査ですが、バッテリーのワイヤの片方をわざと外して「動かなくなった」といっていろいろな修理工場に持っていったところ、よく覚えていませんが、確か50%以上の工場がいろんな理屈をこねて修理代の見積もりを出したそうです。バッテリーのワイヤが外れていることを発見できなかったのが半分以上もあったといとです。

8月14日 ブラックアウト

午後4時少し過ぎ、トロントダウンタウンの勤務先オフィスビルで突然、いじっていたパソコンモニターがバシッと消えました。天井のライトも何かかもいっせいに消えました。そのうちビルの非常ベルが鳴っているのに気付いたので一応、表に出ようということになりました。表に出てみるとどうも近くの交差点の信号が消えているようで、少し混乱しているようでした。そのうち地下鉄が動かないらしく、多くの人が地下鉄の通っているブローア街にそって歩いているのが見えました。このあたりからだんだん事の重大さがわかってきましたが、情報が全然はいってこないので詳しいことはわかりません。とにかくパソコンが使えないので仕事にならないため、もう家に帰ろうということになりました。

地下鉄が動かないので我が家にわりと近いところに行くバサースト街を北にのぼるバスに乗りました。たちまち満員になり、信号がまったく作動していない通りをのそりのそりと走っていきます。交通整理の警官がいる交差点はなんとか秩序が保たれています。警官の数が追い付かず、ボランティアのしろうとが交通整理をしているところもありました。誰かがいる交差点はまだましですが、誰もいない交差点がほとんどです。

私が乗ったバスはたまたま非常に機転がきいてユーモアがある若い女性運転手(美人でもありました!)で、車内放送用のマイクを使って彼女の聞いた範囲の情報を流してくれて、不安にかられている乗客を励ましてくれました。バス停で下車しようとする乗客を降ろすと、バス停で待ち受けている多数の乗客に囲まれてしまいますます遅延すことを予想した女性運転手は、バス停よりもかなり手前で下車する人を降ろしました。エグリントン街という主要な通りにやっとの思いで到着したとき、彼女は「さあ、エグリントンに着いたわよ。これから先も大変だと思うけど皆さん、グッドラック!」と車内に呼び掛けました。下車しようとする多くの乗客の間から「オーッ」というような応答の声が起こりました。なかには「あなたの明るい態度に感謝しますよ!」などと叫ぶ女性客もいました。私は下車しようとしている隣席の男性客と「ああいう運転手は表彰ものですね」などと話したものです。

結局、2時間以上かかってやっと我が家にたどりつきました。ろうそくと懐中電灯にたよる夜でした。することもないのでワイフと玄関先に出て夕涼みです。市内が真っ暗なのでその分、空の星がいつもよりずっと多く見えました。こんなに多くの星を見たのは、5年程前、友人とトロントから2時間半ほどドライブして夜釣りに行ったとき以来でした。あの時、私は二つ流れ星を見ました。8月14日の夜はワイフが一つ流れ星を見ました。

8月1日 ローリングストーンズ
7月30日がやってきて、そして過ぎていきました。
45万人以上(ある新聞は49万人と書いています)の大群衆が、トロント市北部にある元空軍基地跡地(ダウンズビューパーク)に押し寄せ、正午から夜11時半まで続いたメガロックコンサートに酔いしれました。2波のSARS禍に襲われ、米国、日本、欧州などのツーリストから見放され、うちひしがれたトロントなどの飲食産業、観光産業、一般ビジネス、医療関係者などを励ますことを目的に、トロントとはゆかりのあるローリングストーンズをかつぎあげて実現した野外コンサートです。

終日、天候にも恵まれ、目立ったトラブルもほとんど起こらず、死者もけが人も出ず(日射病で倒れた人々はいたようですが)、総じて「行儀のよいカナダ人らしいロックコンサートだった」という評価です。私はテレビで放映された編集バージョンを見ただけですが、ストーンズの前に歌ったAC/DCが大受けしていたようですね。もちろん、ストーンズは大トリで別格扱いですが、やはりミック・ジャガー60歳はきついですね。彼にかぎらずストーンズのメンバーが皆、グッドシェープを保っているのは実に立派。

世界に向けて「トロントはもう安全。SARSは追っ払ったよ」というメッセージを発信するのが主目的だったのですが、肝心のメッセージの受け手のほうが冷淡だったようです。いちばん熱い視線を送る米国のメディアも小さな扱いだったとか。まして日本ではほとんど何も知らされてないようですね。朝日が会場に簡易トイレが大量に設置されている写真を流して1〜2行のキャプションをつけているのをネットで見つけた程度です。なんだか我々の自己満足に終わってしまいそうなメガコンサートでした。

7月30日ストーンズ、メガコンサート
しばらくのご無沙汰が続きました。1か月半ほど前に格闘技トレーニング中、相手の若者のひざが私の右足大腿部のうしろの部分にガキッと当たってしまい、筋挫傷。大きく腫れ上がってしまいカチンカチンになりました。右足が曲がりません。アイスをのせて冷やしましたが、いっこうに治りません。西洋医学のファミリードクターは「ほおっておくしかない。8週間ぐらいで治るでしょう」とのこと。知り合いの中国人のアーキパンクチャー(鍼)の先生に何度か通いました。鍼と電気を使ったマッサージの併用で、その後、両手でマッサージ。腫れはなくなりましたが、なかなか足が曲がりません。最近少しずつよくなっています。ファミリードクターの言った「治り時」なのか、鍼・マッサージの効力なのか、定かではありません。

さて、本題ですが、今日(7月30日)、SARSで落ち込んだトロントを活性化させようとローリングストーンズが旧空軍基地跡地のダウンズビューパークで超メガ野外コンサートをやっています。正午から夜11時過ぎまで、AC/DC,ジャスティン・ティンバーレーク、アイズリーブラザーズなどの豪華ゲスト陣です。推定45万人以上の大群衆が押し寄せるとみられています。チケットは一律で20?程度(1600円ぐらい)。収益の半分は医療関係者、飲食業従業員などの支援に回されることになっています。

日本で阪神タイガースが景気回復の起爆剤になりそうですが、はたしてトロントではストーンズが起爆剤になってくれるでしょうか? 

6月26日 トロント事情 熱波、SARS、ストーンズ・・・

わが街、トロントはきのう(6月25日)、きょう(26日)と連日31度、34度と熱波に襲われています。体感気温ではきのうは45度と言ってましたから、いったいきょうの体感気温はどのくらいでしょうかね。太陽光線ギラギラでとにかく暑いっす。昨夜は我が家の寝室のある2階は炎熱地獄で寝られず、一家全員、地下か1階に避難して何とか寝ました。今夜あたりから低気圧接近で少しは楽になるようですが、6月のうちからこの調子では今夏は相当暑くなりそうです。オンタリオ州北西部ではすでに山火事が相当拡大しています。山火事も雨が降らないことには下り坂になりません。

SARSでWHOの流行地域指定が解除されていないのが、トロントと台湾だけになりましたね。台湾は国ですから、都市としてはトロントだけです。いよいよ「SARSキャピタル、トロント」という表現がジョークではなくなりました。最近は新感染者が全然出なくなりましたので、近日中にトロントも解除されると思います。SARS流行は気温に関係があるんでしょうかね?世界的に暑くなったら下火になってきました。最も、これからはウエストナイルウイルスでしょう。これも考えてみますと、私が日本にいたころ夏になると恐れられていた日本脳炎と同じようなものですよね。日本に相当長くいましたが、日本脳炎にやられずサバイブしてきました。カナダでもウエストナイルウイルスに打ち勝ってサバイブしたいものです。今夏はトロント周辺では蚊よけ製品が爆発的ヒットになると思います。

ローリングストーンズがSARSで落ち込んだトロント市民、ビジネスなどを激励するためのメガコンサートを7月30日に開催することが本決まりになりました。ダウンズビューパーク(シェパード×アレン)という元空軍基地の広場に最大50万人の観客を見込んでいます。昨夏、ローマ法王がトロントを訪問した際、野外ミサを行ったところです。ストーンズのマネジャーがトロント出身のカナダ人で、トロント出身の下院議員、上院議員らが中心になって働きかけたものです。最初は無料というふれこみだったのですが、いつのまにか21ドル50セント(約1700円ぐらい?)均一料金になりました。ゲスト出演がAC/DC、フレーミング・リップス、ジャスティン・ティンバーレーク、アイズレー・ブラザーズ、ゲス・フーなど一流どころがそろっています。

しかし、いまいち分からないのがなぜ7月30日、水曜日にやるのかっちゅうことです。午後2時から11時ぐらいまでやるらしいですけど…。どちらにしても、私向きのミュージックではないのでチケットは買いませんけど。

トロント事情 5月27日 SARS ふたたび

いったんは収まったと思われたSARSがまたまたトロント襲撃。3人の死者が出てトータル27人となりました。我が家の近くにあるノースヨークゼネラルホスピタル、セントジョンズリハビリテーションホスピタル(カマー×ウイローデールの角ですよ、スギケンさん)の2病院が今回の感染源とみられています。知人の麻酔医がノースヨークゼネラルホスピタルで勤務しているのですが、「10日間、自宅隔離だから家に来ないように」との連絡がありました。もっとも病院そのものも閉鎖です。1400人以上が自宅隔離を要請されています。

われわれ市民の日常生活はまったく平常通りなのですよ。地下鉄やバスなどでマスクをつけている人など、ひとりも見かけません。WHOがまたトロントを危険地域に指定しました。いちばん困るのは米国や日本などの国々の人々がメディア報道などで必要以上にパニックになってカナダを訪れなくなくなるという現象なんです。トロントの観光、飲食業界などは大打撃を受けています。今年の夏のトロント名物「ゲイパレード」「カリバナ」なども開催が心配されています。

少し前にはBSE(牛海綿状脳症)まで登場です。アルバータ州で1頭だけの例が発見されたのですが、またパニックです。米国、日本などが早速、カナダからの牛肉輸入禁止措置です。

暗いニュースが多いこのごろですが、市民はいつものとおり元気にやっているのだということを少しでも多くのひとに知ってもらいたいものです。

トロント事情 4月23日 リーフスの夢破れる

 過去1週間、SARS騒ぎで滅入っているトロント市民の心を多少なりとも奮い立たせてくれたNHL(ナショナルホッケーリーグ)プレーオフ。36年も優勝杯、スタンレーカップを拝んでいないトロントのチーム、トロント・メープルリーフスがプレーオフ開始直前、本気になって大物トレードをやったせいもあって、今季こそはという期待感をいだかせたもんです。

第1ラウンド、相手は大型選手をかかえて荒っぽい試合運びで知られるフィラデルフィア・フライヤーズ。シリーズは3勝3敗にもつれこみ、ついに昨夜(22日)の最終第7戦をフィラデルフィアで迎えました。結果は6対1の大差でフライヤーズがリーフスを撃砕しました。もし、リーフスが勝っていたら、昨夜のトロントダウンタウンは大騒ぎだったでしょう。実際はきわめて静かだったようです。

世界保健機関(WHO)が、トロントを「旅行危険地域」に指定しましたね。カナダの死者が計15人。全部トロント周辺です。アジア以外ではなぜか感染者、感染の疑いのある者、死者の数がいちばん多いのです。チャイナタウンをはじめ、中国系のビジネスは大きな打撃を受けています。毎日、通勤で乗っている地下鉄では、まだマスクをしている人をほとんど見かけませんが、何となく多くの人がナーバスになっているようです。もう単なる医療、保健の問題ではなく、経済、社会、政治問題になってきています。

トロント事情 3月31日 松井騒動

きょう(3月31日夜)、メジャーリーグ開幕戦で当地トロントスカイドームにおいて、ヤンキース対ブルージェイズ3連戦シリーズの初戦が行われます。例の松井人気で日本からも報道陣が大挙押しかけているようです。でも、きょうのトロントは最高気温マイナス3度、最低気温マイナス11度。これを書いている今(お昼)外は猛吹雪。というとちょっと大げさですが、マジで雪が降ってます。日本からの報道陣、お客さんは皆震え上がっていることでしょう。

ところで、先週あたりから、ブルージェイズ球団が当地新聞、雑誌などにばんばん流しているジェイズ対ヤンキース開幕シリーズの広告が大きな話題になっています。広告の真中にヤンキースの野球帽の写真があり、その帽子の上のほうに鳥(ブルージェイズ)のものと思われる白くて大きなウンチがボトっと落ちているのです。そして大きな日本語、英語のキャプションで「松井を野次ろうぜ」と出ているのです。

ヤンキースのトーリ監督はかなりおかんむりの様子です。特にイラク戦争が進んでいる状況下で、「米国への侮辱」と感じているようです。カナダ政府ははっきりイラク戦争不参戦の態度を示しています。松井個人を野次ろうという呼びかけにも「フェアじゃない」とお怒りのようですね。ヤンキース先発のクレメンスは元ブルージェイズ、トロントでもとても人気がありました。

試合前からいろいろ敵対意識を刺激するような舌戦が展開されていますが、まんまとジェイズ球団マネジメントの作戦にはまっているような気がします。両国国歌斉唱の場面でブーイングなど出ることのないように願っています。モントリオールでのプロアイスホッケー(NHL)ゲームですでに米国国歌に大ブーイングが出て大きな問題になったことがありました。

トロント事情 3月27日 SARS

オンタリオ州政府はついに非常事態宣言です。
{謎の肺炎」重症急性呼吸器症候群(英語表記の頭文字を並べてSARS【サー
ズ】、Severe Acute Respiratory Syndrome と呼んでいます)が、急速に広がっているための緊急処置です。 アジア以外では、トロント周辺が最も罹患率が高いようですね。
3月26日現在、3人の死者、27人の感染を疑われている人たちがいます。感染の疑いのある人々のうち、14人がトロント市内、その他は周辺地域。3人の死者はいずれもトロント市内スカーボロ地区在住で、3人のうち1人が最近、香港を訪れて帰ってきた人。もう1人の死者はその死者の家族。3人の死者は全員、同じスカーボログレースホスピタルの救急病棟に行っています。

保健当局は、3月16日から26日までの間にスカーボログレースホスピタルを訪れた人々全員に「禁足令」を出しました。どこまで拘束力があるかは疑問ですが。こういうパニック状態になると、SARSと似たような症状、たとえば単純な風邪のような場合でも人々はSARSではないかと疑って大騒ぎになるのではないでしょうか。
香港に近い日本でまだ感染者が出ていないのは不思議な感じがしますね。

トロント事情 3月4日 マイナス25℃、体感気温マイナス36℃

きのう(2003年3月3日)、トロントは1868年以来、最も寒い3月3日を迎えました。気象観測が始まって以来、最も寒い3月3日ということでしょう。我が家の裏庭に面したトイレの窓の外側につるした寒暖計でもマイナス24〜25℃をさしていました(朝7時半ごろ)。4日の新聞報道でもマイナス25℃、それに時速30mの北風(こちらでは風速は時速であらわすのです。日本では確か「風速XXメートル」とか言ってましたよね。今は変わったのかな?)が加わって体感気温(英語でwind chill と言います)はマイナス36℃。

カナダ環境省の説明では、シベリアから張り出してきた「シベリア特急」というニックネームの高気圧が大寒気団となって、ボーフォート海から大平原地方、五大湖地方まで伸びてきて、伸びれば伸びるほど気温が下がってきたということです。いやあ、寒かったですね。仕事を終えて帰宅してから一歩も外に出ませんでした。電力会社は「あんまり暖房を使いすぎると電力供給を制限しないとパンクする可能性がある」と脅かしてきます。幸いそういう事態にはなりませんでしたが。3日朝、ガレージ内に止めず路上駐車していた車の多くがバッテリーがダウンしてエンジンをスタートできなかったそうです。CAA(カナダ自動車協会)という組織があって、メンバーはそういう時にSOSコールを入れるとCAAの車が出張してきてバッテリーをブーストしてくれるのですが、きのう朝7〜8時の間にSOSコールが400件以上もあったとか。そのため、90分まで待たないとCAAの車が来ないよという「赤色緊急事態」になったとCAAは発表したそうです。

4日夜は20センチもの雪が降るとの予報が出ています。いったい春はいつトロントにやってくるのか…。


トロント事情 2月12日 スノーシュートレッキング

先日の日曜日(2月9日)、仕事を兼ねて、生まれて初めてのスノーシュートレッキングなるものにチャレンジしてきました。トロントのあるスキークラブが主催したもので、大型バスが3個所ほどの集合地点に集まった人々をピックアップして、目的地のヒューロン湖(五大湖の一つ)湖畔にあるワサガ・ビーチ州立公園のスノーシュートレッキングコースまで。1時間半ほどかかりましたかね。バスの中にはスノーシューをやる人、クロカンをやる人がいて、スノーシュー組は確か18人でした。いかにもヘルシー志向型の中高年が主流。とにかくアウトドア派ですね。

太陽がさんさんんと降り注ぎ、気温はマイナス12℃ぐらいでした。湖の近くのビーチですから、砂浜かと思ったらなぜかオンタリオには珍しい針葉樹林が圧倒的に多い森なのです。緑の木々に囲まれた狭いトレイルをスノーシュー履いて歩きました。いい気分、けっこうな森林浴でしたね。さすがにビーチの近くなので起伏はあまりありません。毎週土曜朝、トロントのコリアンハイキングクラブの皆さんと15〜20キロのハイキングに行ってるわたしにとってはチョロイもんでした。スノーシューは着脱もいたって簡単。歩けさえすれば講習も何もほとんどいりません。日本でも静かなブームだとか。確かに長い行列の後、リフトに乗ってサーッと降りてきてまた行列、リフトではそう大した運動にはなりません。それよりかクロカンやスノーシューのほうがいい運動になりますよ。スノーシューで走るというのもありますが、あれはすごい運動です。

一緒に行ったカナダ人たちもほとんどがそういう健康志向のライフスタイルに目覚めた感じの人たちで、みんな初対面なのにスノーシューのトレイルを歩きながら楽しく話し、笑いました。

トロント事情 1月25日 カナダ国勢調査

2001年5月15日に実施されたカナダ国勢調査の結果が、1月21日朝8時30分、全国一斉に発表されました。私もトロント市内のホテルで行われた政府主催の発表会に行ってきました。

カナダの総人口約3000万(この広大な国土にたった3000万人!)のうち、18.4%(545万人)が外国で生まれた人々であることが分かりました。過去70年で最多だそうです。おおざっぱに言えば、5人に1人は外国出身ということになります。これがトロントになりますと、何と43.7%が外国出身者です。これは世界一です。国別では、オーストラリアに次いで2番目に外国生まれが多いそうです。

20世紀の最初の60年間は、カナダへの移住者というとヨーロッパ諸国と米国が圧倒的に多かったのですが、90年代にはアジア(中東を含む)系が58%に達し、ヨーロッパ系は20%に減ってしまいました。91ー01年にカナダに移住した人々の出身国トップ5は、1位中国(約20万人)、2位インド(約16万人)、3位フィリピン(約12万人)、4位香港(約12万人、5位旧ユーゴスラビア(約6万8000人)の順。また同時期にカナダに移住した人々の43%がトロントに住み、18%がバンクーバー、12%がモントリオールでほとんどすべての移住者がこれらの3大都市に住んでいます。

01年度の国勢調査で自分の出身民族(ethnic origin)を「日本人」と答えた人々の数は、カナダ全体で8万5230人。オンタリオ州では2万9075人、トロント首都圏では2万0085人と発表されました。日本からカナダに移住した人々の総数は1万7630人で、91年以前の移住が9675人、91ー01年の間が7955人。うちオンタリオ州には総数5670人(91年以前が3090人、91ー01年が2575人)、トロント首都圏には総数4165人(91年以前2310人、91ー01年1855人)。

カナダ諸都市に91ー01年の間に移住した人々の出身国別トップ10に日本が入っているのは、わずかに大平洋岸ブリティッシュコロンビア州の州都ビクトリアだけで、285人で10位に入っています。カナダで最も気候温暖、日本にいちばん近い風光明美な町ですから、きっとシルバー移住の人たちの人気が集まったのではないでしょうか。

トロント事情 1月19日 ラストマン市長、不出馬宣言

トロント市のメル・ラストマン市長(69)が、1月14日、「今年11月に実施されるトロント市長選には出馬しない」と宣言しました。今期限りで引退するということを表明したわけです。今のトロント市というのは、1998年に旧トロント市と周辺5市を合体させて誕生したいわゆる「メガ・トロント市」で、ラストマン氏は、その初代市長に選ばれ、2000年の選挙でもほとんど無競争状態で再選されました。

メガ・トロント市以前は、トロントの北隣、ノースヨーク市の市長を25年間、務めあげました。確か8回か9回の市長選に連戦連勝、毎回ほとんど無競争状態でした。
このノースヨークは、かつてスギケンさんご一家が住んでいた所ですし、私たちが今、住んでいるところです。ラストマン氏は、このノースヨークの人気市長で、とにかく話題の多い人物でした。ポーランド系ユダヤ人の移民の子で、高校ドロップアウト、電化製品販売店のセールスマンになり、そのうち独立して自分の電化製品販売店チェーンを作って成功。

電化製品販売店を経営していたころ、何か突飛なことをやって店の名前を世間に知らせしめてやろうと考え、イヌイット(エスキモー)の部落の人に電気冷蔵庫をセールスしようと、そりに冷蔵庫を載せて氷原を走るという芸当をやってのけました。冷蔵庫など必要としない(電気が通っていたかどうかも分からない)、イヌイットの人たちに冷蔵庫を買わせたというギャグが大受けして、彼の店の名前が一気に有名になったというのはよく知られています。

あるいは、トロントダウンタウンの街角で「1ドル札を持ってきたら代わりに2ドル札をあげる」と叫んで黒山の人だかりとなり、それが新聞記事となって、騒ぎの張本人はラストマン氏だと分かりますます知名度が高くなるというわけです。

彼がノースヨーク市長となって、持ち前の奇抜なアイデアやビジネスセンスを生かして、それまで何となくくすぶったようなトロントの北の町を大いに発展させました。

私も彼がノースヨーク市長時代に2回インタビューしたことがありますが、とにかく話がおもしろい。難しいことをほとんど言わないので非常に分かりやすいのです。長い単語をあまり使いません。彼のスピーチも目の前で何度か聞きましたが、同じことなんですね。非常に分かりやすい。難しい言葉を使わない。

しかし、彼の人気にかげりが出てきたのも、口の問題がからんでいたことも事実です。
トロントは2008年夏季五輪の有力候補だったのに、アフリカでの開催地決定の前日、ラストマン市長のアフリカ行きの旅の途中で、「アフリカに行ったら人食い人種に会って釜ゆでにされる」と発言、国際的な非難を浴びました。もちろん、トロントは落選。世界最大のモーターサイクルギャング団「ヘルズエンジェルズ」の総会がトロントで開かれた際、市長がギャングメンバーの一人と握手している場面がでかでかと新聞1面に報道され、ひんしゅくを買いました。さらに、40年以上も前の不倫で生まれた2人の「息子」が出現、民事訴訟を起こされ慰謝料を請求されたことで大きなイメージダウンとなりました。市長本人は「事実でない」と否定し続けましたが、
彼そっくりの2人の男性が記者会見などをして新聞、テレビなど大きく報道されたのには、ラストマン氏もまいったと思います。

彼のことをよく言う人も悪く言う人も同じくらいたくさんいますが、とにかくラストマン氏ほどのカリスマ性を持った市長が再び現れることはないでしょう。

 トロント事情 1月1日 平和の願い

地球の裏側、14時間の時差(冬時間)のあるカナダ・トロントから新年おめでとうございます。米軍などのイラク攻撃の可能性、北朝鮮の核兵器開発の可能性などが年明け早々に私達の心に重くのしかかってきています。そんな雰囲気の中で、世界中の民族、言語、文化が、パーフェクトではないにしても互いに共存することが不可能ではないことを世に示している国、カナダ。中でもとりわけ、世界からの移住者の50%以上が最初に落ち着き、その後も継続して居住する我が町、トロントの姿は日本の皆さんにも広く知っていただきたいものと思います。

2001年に実施した国勢調査の結果が、02年12月にカナダ政府統計局から発表されました。それによりますと、トロント市と周辺地域を合わせたメトロポリタン・トロント(総人口約270万人)の住人のうち、57.7%が第一言語を英語としています(第1位)。それ以下、いろいろな国・民族の言語が第一言語として使われていることが明らかになりましたが、上から順に25位までの言語と使用している人々の数を紹介いたしましょう。残念ながら日本語はベスト25に入っていません。

中国語(35万5270人)、イタリア語(20万6325人)、ポルトガル語(11万3350人)、パンジャブ語(9万9625人)、タガログ語(8万8600人)、スペイン語(8万7790人)、ポーランド語(8万202人)、タミール語(7万7060人)、フランス語(7万1535人)、ウルドゥ語(5万7635人)、アラビア語(5万3330人)、ギリシャ語(5万2775人)、ロシア語(4万8200人)、ペルシャ語(4万7165人)、ドイツ語(4万5300人)、ベトナム語(3万7740人)、韓国語(3万7120人)、グジャラティ語(3万6770人)、ウクライナ語(2万7675人)、ヒンズー語(2万2635人)、ハンガリー語(2万2545人)、クロアチア語(2万0905人)、ルーマニア語(1万8275人)、セルビア語(1万6765人)。

カナダ全国で最も使われている言語は英語(1769万4835人)、2番目がケベック州を中心としたフランス語(686万4615人)、3番目が1996年以前はずーっとイタリア語だったのが96年を境に中国語にその座を譲っています。カナダ全国で中国語を第1言語としている人々は87万2395人でうち41%がトロントに、34%がバンクーバーに居住。4位がイタリア語(49万3990人)でうち42%がトロントに居住。5位ドイツ語(45万5540人)、6位パンジャブ語(28万4750人。35%がトロント、32%がバンクーバー)、7位スペイン語(26万0785人。34%がトロント、26%がモントリオール)、8位ポルトガル語(22万2850人。51%がトロト)、9位アラビア語(22万0535人。36%がモントリオール、23%がトロント)、10位ポーランド語(21万5015人。38%がトロント)が全国ベスト10です。

テレビのニュースなどでイスラエル軍兵士とパレスチナ人たちの際限のない対立、流血の悲劇などを見るにつけ、「トロントを見てほしい」と願わずにはおれません。トロントではユダヤ人もパレスチナ人も殺し合いはしません。その必要はないのです。

トロント事情 12月25日 日野原重明先生

12月24日までトロント市内には雪がまったく見られませんでしたが、25日未明から静かに降り出し、クリスマスモーニングに目覚めた人々は、しんしんと降り続ける雪の中、一面の銀世界となったトロントに目を見張りました。そう、天気予報は見事に的中、トロントは完全なホワイトクリスマスです。10センチぐらいは積もりそうです。

私が勤めるトロントの日本語週刊新聞「日加タイムス」の03年新年特別号も無事発行され、郵送分も23、24日には市内の読者宅に届いたと聞き、安心しました。新年号の記事の中で私がまとめたものの一つが、今、日本で「超売れっ子」の一人となっている東京の聖路加国際病院理事長、同名誉院長、聖路加看護大学理事長、日野原重明さん(91歳)とのインタビューでした。
11月初旬、トロント市の西にあるハミルトン市のマクマスター大学で名誉博士号を授与され、授与式に出席のため単身来られた日野原先生にお会いすることができたのです。ハミルトンのダウンタウンにあるシェラトンホテルで1時間ほどお話をうかがいましたが、ほんとうに感服しました。頭脳、記憶の明せきなこと驚きです。まだオリジナルの歯が22本ほどあるそうですが、私などオリジナルの歯がほとんどありません。目も耳も問題ないようですし、姿勢がとてもいいです。

恥ずかしいことですが、実は私はウィリアム・オスラー博士という「アメリカ医学の父」と言われるような人がカナダ人であって、しかもトロントのすぐ近く(ハミルトン郊外のダンダスという町)で生まれ育った人だということを、日野原先生にお会いするまで知りませんでした。日野原先生は若い時にオスラー博士のことを知り、その「医療は患者とともに始まり、患者とともにあり、患者とともに終わる」というヒューマニズムに基づいた全人的な医療をめざす姿勢に共鳴し、傾倒し、やがてオスラー博士の偉業を日本に紹介し、アメリカ医学を導入することに力を注いだわけです。20年ほど前に「日本オスラー協会」を創設し、日野原先生が会長を長年務めてきているそうです。

私が日野原先生とのインタビューを始めた時のまくら言葉が「オスラー博士」だったのですが(というのは、日野原先生とカナダとのかかわり合いの始めはオスラー博士だと私は考えましたので)、オスラー博士と言ったとたんに、それから先はもう日野原先生の独壇場でした。「オスラー博士伝」のほとんどを日野原先生の口を通して聞かされました。先生のオスラー博士に対する敬愛の情、それはそれはすごいパッションを感じましたね。91歳の人の話しっぷりとは思えません。青年のような熱気です。オスラー博士は、英国から伝道のためにカナダに渡ってきた牧師夫妻の間に1849年に生まれました。高校までを地元のダンダスで過ごし、トロント大学の神学部に進みました。父の後を継いで牧師の道に進もうとしたのですが、自然科学に強い興味を持っていた牧師の影響や、神学部時代に知り合いの医学部教授から手伝ってくれと頼まれたことから医学に興味を持ちました。それで、モントリオールのマギル大学医学部に入り、卒業後、ドイツ、オーストリアに行き、当時最新のドイツ医学からも学び、帰国してマギル大学医学部で教えるようになりました。

マギル大学では生理学や解剖学などの基礎医学を教えながら、内科の臨床もやっていたそうです。そのころオスラー博士は解剖を1000体ほどやったそうで、基礎に強くて臨床もやるということが知れ渡って、米ペンシルベニア大学医学部の内科教授に招かれました。その後、米国でジョンズ・ホプキンズ大学の医学部立ち上げのため引き抜かれ、15年間、同大学で教えました。それから英国のオックスフォード大学医学部の教授になりました。欧州、北米各地の大学などで彼が行った講演を集めたのが「平静の心」という1册の本になりました。オスラー博士の講演というのは、単に医学の分野だけでなく、聖書やギリシャ哲学、シェークスピアなどの古典文学など幅広い話題に触れて大変おもしろかったそうです。本を読みなさい、古典を勉強しなさい、医学以外の知識・教養を広げなさいということをオスラー博士は説いたそうです。医者として患者に接するには、人間を知らなくてはならないという、全人的な治療をめざす博士の教えではないかと思います。

きょうはこのへんでやめておきますが、また後日、日野原先生のことは書かせていただきます。それでは皆さん、メリークリスマス!

トロント事情 11月19日 今季初のスノーストーム

今季初の本格的スノーストームが11月16〜17日、トロント市や周辺地域を襲いました。15〜20センチの積雪で、一足早い本格冬将軍の訪れに、市内の交通は大混乱。市除雪部隊の体制もまだ十分に整っておらず、かなり早めに降雪予報は出ていたにもかかわらず、混乱が続きました。塩まきトラック部隊の出動も大分後手に回ったようです。日本から最近来たばかりの人には、チェーンを使わないということが驚きのようです。
 「これだけの雪だったら、日本だったらみんなチェーンを付けますよ」と叫んでいました。トロント市民は、たいていの場合、1年中使える(はずの)オールシーズンタイヤをつけっぱなしです(私も含めて)。雪質の違いもあるかも知れません。トロントの雪は一般的にパウダースノーです(ただし、今回の初ストームはかなりウエットスノーで、雪かきにはてこずりました)。

ただ、トロントは世界中の国々の人々が集まってできている都市ですから、雪なんて見たこともないという人たちがたくさんいることも確か。最近、来たばかりの人で雪道を運転したことがないという人が、恐る恐る運転していると思われる光景もよく見受けます。追い越しが楽ではないので、非常に迷惑状態です。新聞によると、市内の事故リポートセンター(3カ所)に計1054件の事故届出があったそうです。これらは、ある程度、重傷の事故ですから、届け出ず、示談で済ませたケースも含めたらもっともっと膨大な数になることでしょう。

トロント事情 11月10日 日野原先生とカナダ

今、日本では大ブームになっていて、「新老人」パワーのシンボルのような日野原重明先生に11月8日、御会いしました。トロントから車で1時間ほど西に行ったハミルトン市ダウンタウンのホテルでインタビューさせていただきました。その内容は、私の本業の新聞にもまだ発表されていないので(まだ書いていません!)、このコラムでお知らせするわけにはいきません。

日野原先生は、聖路加国際病院理事長などの要職をこなし、今、書き上げる本が次々にベストセラーになっている91歳のお医者さんです。このたび、ハミルトン市にあるマクマスター大学で名誉博士号を授与され、その授与式(医学部、工学部の卒業式)に招待されたものです。

実は、私の無知なるがゆえに、カナダに30年以上も住んでいて、ウイリアム・オスラーという有名なカナダ生まれの医師がいたということを知りませんでした。100年以上も前にハミルトン近くの小村の牧師夫妻に生まれ、長じてトロント大学神学部に進み、父の道を歩むはずだったオスラーが自然科学が好きだった牧師の影響で医学に転じ、モントリオールのマギル大学医学部を卒業。のちに米ペンシルベニア大医学部教授、英オックスフォード大教授などを務めたりなどし、近代臨床内科学の礎を築いたと言われるほどの人だったそうです。

日野原先生は、このオスラーの業績、精神などを初めて日本に紹介したことでも知られているのです。みずからウイリアム・オスラー協会を創設して初代会長に就任しました。オスラーは「医の道は教室の講義から始まるのではなく、病院の患者のベッドサイドから始まるのだ」という精神を貫いたそうですね。また、彼の講義や書き物などは非常に博識、教養高きもので、古典文学や哲学などの引用が随所に出てくるそうで、単なる医学講義の枠を超えてとてもおもしろいのだそうです。

日野原先生からは、このオスラーの話や、先生自身のお話をいろいろ聞かせていただきました。91歳でひとりで世界を駆け回る先生の元気には、正直驚かされました。私がもし90歳まで生きられるなら、日野原先生のようなしゃきっとした頭としっかりした体で生きたいものだと思いました。「感動する心、好奇心、冒険心が大切」と言われました。

トロント事情 9月30日 医療危機

最近、フレーザー・インスティチュートというカナダの民間研究機関が発表した Hospital Waiting Lists in Canada  という統計は実に興味深いものでした。そのごくごく一部をかいつまんでご紹介します。

患者が自分のファミリードクターのところに行って診察してもらい、ファミリードクターがその患者は専門医(specialist) に診てもらう必要があると判断した場合、ファミリードクターのオフィスから専門医のアポを取るのですが、平均的にどのくらい患者は待たなければならないか。この「待たされる期間」を州別に1993年時と2001ー02年の間で比較した結果が出ています。

01ー02年でいちばん長いのが大西洋岸ニューブランズウイック州で10.2週間、同州の93年平均は4.1週間でした。次に長いのがアルバータ州で現在が9.3週間、93年が3.6週間。カナダ最大の州、ここオンタリオ州は現在が7週間、93年が4.3週間。大平洋岸ブリティッシュコロンビア州は現在が6.7週間、93年が3.3週間。カナダ全体では現在が7.3週間、93年が3.7週間でした。

この「待たされる期間」を専門医別に比較した統計もあります。翻訳が大変?なので専門医の種別は英語のまま表記します。2001ー02年でいちばん長く待たされるのが Orthopaedic Surgery(整形外科) で12.7週間、93年度では8.1週間でした。次ぎが Neurosurgery(脳外科) で現在が11.9週間、93年が6.7週間。その次ぎが Plastic Surgery(形成外科) で現在10.9週間、93年が5.9週間。さらに Opthalmology(眼科) の
10.8週間(現在)と5.9週間(93年)。Gynaecology(婦人科) の7.4週間(現在)と3.1週間(93年)といったところがワースト5です。

統計というのは無表情で実態は見えてきません。私の身の回りでもこういった統計よりももっとひどいケースが起きています。待たされている間に患者の状態はますます悪くなってくるという非常に馬鹿げた事態もあります。「世界に冠たるカナダのメディケア」とよく言っていますが、いくら基本的な医療費は無料といっても(薬代は別です)待っている間にどんどん悪くなるのでは、本末転倒です。医療予算を削減し続けた政府が責任を持って改善していくべき問題です。

*「注=専門医名の日本語訳は杉本」

トロント事情 9月23日 トロントの夏

秋のお彼岸が終わるころ、今年のトロントの夏はやっと終わりを迎えようとしています。
いやあ、今年の夏は実に暑くて乾燥した夏でした。雨はほとんど降りませんでした。

平年では毎夏、最高気温が30℃以上という日が15日とされています。ところが、今夏はそれが40日にも及びました。史上最多は1959年の43日で、それには及ばないようですが、史上第2位準優勝というところでしょうか。ところが、夜間の気温が20℃以上という「トロント版熱帯夜」の記録では、19日でこの部門では今夏は見事に最多記録、金メダルです。おかげで我が家の電気代も新記録樹立です。平年並みでは夜間20℃に達するのはわずか5日間ぐらいだそうです。

7、8月の平均気温は23・4℃。平年並みは20℃です。8月の降水量は11.6
ミリメートル。平年は84・2ミリメートルですから、いかに乾ききっているか想像していただけると思います。

トロント事情 9月4日 教育危機

正式な気象観測資料が整いだしてから最高に暑かったとかいわれるトロントの夏がようやく終わろうとしています。まだまだ30℃近くなる日があるので、秋が近いという実感はわきません。とにかく雨が降りません。我が家に芝生などほぼ全面的に枯れてしまい、ご近所の中ではみっともない状態を呈しています。

さて、トロント、ハミルトン、オタワの3市は、オンタリオ州の中で人口が多い3大都市ですが、いずれの市の教育委員会も02〜03年度の教育予算で赤字解消ができませんでした。州政府は、法律で累積赤字を解消して黒字にしろと命じていました。もしそれができないなら、教育委員会は実質的に形骸化させ、州政府が任命する「会計検査官」を派遣し、強制的に黒字にさせるという強硬策に出ました。

この会計検査官は、実際には「首切り役人」のようなものです。トロント市教育委員会(生徒数約30万人)の例では、1900万ドルの赤字を今会計年度で解消しなければなりません。22人の公選教育委員は、教育の実務面では今までと同じように機能するようですが、お金のことについてはいっざい口出しできないようです。会計検査官が予算のすべてを牛耳るのです。すでに限界まで切り詰めさせられている教育の現場で、お金を浮かせるとしたら、さらなるサービスの低下と首切り以外にありません。

移民で成り立つ国、カナダにあってトロントは特に集中的に世界中の国々からの移民などが目指してやってくるところです。英語が十分に出来ない子弟たちがわんさとやってきます。そういう子供たちのためのESL教育の予算も削減される恐れがあります。そのほか、心身障害児のための特別教師なども、現にオタワではばっさり斬られています。

もともと、州政府が教育予算をさんざん削って、そのうえ黒字にできなければ政府が強制的に赤字解消をしてやるというのですから、何か変な話です。オンタリオの教育現場の荒廃が危惧されています。

トロント事情 8月21日 医療目的マリファナ

カナダ連邦政府のマクレラン保健相(女性)が、8月19日、大西洋岸ニューブランズウイック州セントジョンで開催されたカナダ医師会年次総会でスピーチした際、「政府としては、現時点ではマリフアナを医薬品として使用することを認める考えはない」ことを明らかにしました。

マリフアナ使用を一部の患者の鎮痛剤などの目的のために限って承認すべきだという声は、カナダでは最近、つとに強くなってきています。

マクレラン保健相はさらに、「痛みを和らげるために人々がマリフアナを吸引するというアイデアは、私には得心がいかない。マリフアナの安全性に関するすべての臨床治験が終わるまでは、政府としてはマリフアナを医療目的で供給することはしない」と述べました。

保健相が言及したマリフアナの安全性に関する臨床治験は、カナダではまだ始まってもいないそうです。日本では、この問題はどうなっているんでしょうかね?

ところで、毎日新聞で読みましたが、米国ボストンの「ベスト・ドクターズ」という企業がこの秋にも日本に進出するそうですね。40の専門分野と420の副専門分野ごとに「名医」を登録し、カルテや検査結果などを基に、世界26か国で年間約1万人の患者に「最良の医師」を紹介しているそうです。

この会社の「名医」選びの方法というのがおもしろいですね。この会社では、医師に「あなた自身やあなたの家族が病気になった時、誰に診てもらいたいか」をアンケートし、名前のあがった医師をリストアップするそうです。そのうえで、それぞれの医師の治療能力、患者への対応、最新情報への精通度などを評価し、専門領域ごとに医師を選出してデータベース化していくそうです。

ただし、日本の医師法では、医師というものは患者と対面して診療することを原則としているので、カルテや検査結果を見て医師を紹介することが医療行為と見なされると法に触れる可能性もあるとか。ベスト・ドクター社は「法律に抵触しないかたちで運営していく」と言っているようです。

ともあれ、ベスト・ドクタース社に登録されるようになったら、お医者さんにとっては大変な「メダル」になるのではないですか。

トロント事情 8月14日 にせ医師事件

最近、トロントで大きなニュースになったのが、「にせ医師事件」です。
日本でもときどきありますよね。正式な医師の資格がない者が、医師になりすましていたという話です。

トロントから車で1時間弱のところにある製鉄の町、ハミルトンで過去15年ほどファミリードクターとして開業していたスティーブン・チャン被告(65)が、実は、ドミニカの大学で医学部を修了したというのがウソだったことが発覚しました。
その大学で勉強したこともなければ、修了証書はにせものだったということも分かりました。

8月12日にハミルトンで本事件の裁判が行われました。同被告は医師の資格がないのに、15年間医師になりすまして、オンタリオ州医療保険(OHIP)の医療費を計440万ドルも使ったというのが容疑です。チャン被告は有罪を認め、判事は18月の条件付禁固刑の判決を下しました。自宅にいて午後6時から午前6時までの外出禁止を命じました。夜間自宅軟禁です。理由として、本人は社会にとって危険な存在ではなく、健康を害しているためと判事は説明しています。ほかに、彼の資産48万ドル以上が没収されます。

皮肉なことに、チャン被告は医者としては非常に評判がよかったのです。1件の苦情もなかったそうで、ある患者などは「並みの医者よりよっぽどマシ」とか「もし、彼が医者として復帰できるなら、また彼の患者になる」などと言っているそうです。同僚とかの間でも評判がよかったそうです。

州医師会は「チャン氏が再び医師になる可能性はない」とコメントしています。

トロント事情 7月23日  白いソックス

先日、スギケンさんにお願いして「白いソックス」をたくさん送ってもらいました。実は、こちらで買う白いソックスには、ほんとうにうんざりしているのです。何回洗っても、脱ぐたんびに(これは東京弁でしょうか?)ソックスの中につまっていたふわふわの白っぽいごみが出てきます。カルバン・クラインなど
のいわゆるブランド物でも、ほとんど同じです。

もっとも、私は値段の高いソックスのことは知りません。値段の高いものは買ったことがないからです。私の買うのは、3〜4足、束になって売られているもので、1足あたりせいぜい2〜3ドルですかね。日本円にして160〜240円というところでしょうか。

脱ぐたんびに白いごみをまき散らすものですから、ワイフにはブーブー言われるし、見た目もよくありません。それと長もちしません。すぐ足の先やらかかとのあたりに穴があいてきます。

ところが、スギケンさんが送ってくれた日本からの白いソックスは本当に出来が違いますね。感激ですよ。ワイフもためつすがめつ眺めて賞賛しきってます。値段を言って申し訳ないですが、一つは6足で680円というものでしたが、これだってこちらではまず絶対といってもいいほど、お目にかからないグッドクオリティーです。3足で980円のは、ワイフがため息をもらすほど、優秀なクオリティーです。

早速、6足で680円の分から愛用していますが、中からごみなど一つも出てきません。100%コットンで、はき心地も申し分なし。

スギケンさんは「メイドインチャイナかも知れませんよ」とメールしてきました。私はよく調べていませんが、6足680円のものは、どうもそのようです。こちらで買うソックスがどこ製だか、よく調べていないのですが、もしかしたらやはり中国製かも知れません。この違いはどこからくるのでしょうか?

多分、現地の製造元では、「日本向け」と「カナダ向け」では異なるクオリティースタンダードで作っているのではないでしょうか。カナダで売っているような劣悪製品では、とても日本では相手にされないに決まっています。

そういう意味では、カナダはまだまだ日本に比べて遅れているなと思わざるをえません。

日本からのソックスがどれくらい長もちするかについては、これから先に答えを見ることになるでしょう。

7月8日 トロント事情

スギケンさんの不定期日記7月8日付「怖い怖い」で、「カナダでは一度もこのような経験をしませんでした」とありますが、このごろのトロントでは、マナーのよくないドライバーがけっこう増えていると感じます。なにしろ、世界中のいろんな国から来た人たちが人口の半分ぐらいを占めてるんですから、出身国では当たり前のことが、トロントでは眉をひそめるようなことになるのは容易に考えられます。

2カ月ほど前に、東京から来られた某大学の助教授一家がナイアガラ滝の観光に車で行ってきたのですが、「恐怖のドライブでした」と述懐していました。右左が逆であることにまだ慣れていないこともありますが、トロントからナイアガラに行くクイーンエリザベスウエー(QEW)という無料ハイウエーの高速運転ぶりにマイッタみたいです。「制限速度100キロなのに、みんな120〜130キロでぶんぶん飛ばしていきます。いちばん右の車線をびくびくしながら走っていると、いつの間にか『退場路線』に入っちゃって、こっちの意思に反して退場すること数回。でも、カナダの高速は元に戻るのも実に簡単なのは日本と違いますね。カナダのドライバーはもっとゆったり運転してると思ったのに、意外でした」との感想。

私などは、カナダ暮らしが長いもんですから、こっちのドライブ・スタイルにはすっかり慣れてきています。ま、東京や大阪(京都も?)に比べたら、そりゃあ、まだのんびりしていると思います。ただ、前述のように出身国の悪癖がしみついてしまったドライバーがうようよしているわけですから、シグナルを出さない奴とか、必要もないのにジグザグ運転するバカとかいますよ。まれに、カッとなったバカ同士が路上で殴りあいになったり、ひどい場合は拳銃で射殺されたりなんてこともあります。英語の新語で Road Rage なんて言葉も生まれています。「路上の激怒」とでも訳しましょうか。

冬になると、出身国で雪を一度も見たことのないドライバーが、雪や氷でツルツルのトロントの道路を突っ走っているんですから、これもまた「怖い怖い」ですよ。

トロント事情 6月23日

先月からトロントの韓国系の人達の「ブルース・トレイル・トレッキング・クラブ」にワイフともども参加しています。ワイフに無理矢理引っ張られて参加した、というのが真相に近いのですが。私どもの教会の韓国人夫妻に誘われて行ったのが始まりです。ブルース・トレイルというのは、ナイアガラ滝付近からトロント北西方向のジョージアンベイまで数百キロにわたってつづく台地(ナイアガラ・エスカープメント)に沿って設けられたトレイル(山道)で、これを毎週土曜日朝から午後2時ぐらいまで、毎回平均20キロほど歩くのです。毎回、数百キロにおよぶトレイルの各部分を選んで歩きます。オンタリオ州には山と呼べるほどの山はありませんので、日本の登山のように上り下りは激しくありませんが、初心者向きのトレッキングです。でも、森はけっこう深く、小川があったり、滝があったり、変化に富んだコースです。

このクラブは7年前に創設され、以来、1年を通して毎週土曜日、一度も欠かさず7年連続で続けられているそうです。毎回40〜50人ぐらいの男女老若(どちらかというと、中年、初老組が多い)が集まります。細かい規約も何もないゆるやかな同好者の集まりですが、一つだけずーっと守られているルールがあります。初めて参加した人は、昼食の時に自己紹介して、歌を歌わなければなりません。私達もやむなく「知床旅情」を2人でやりましたが、白昼、しかも初対面の人たちの中で歌うというのはしんどかったです。

中には「昭和11年生まれです」と言って日本語で話し掛けてきた男性もいました。ランチタイムには、「これを食べてみて」といって数人の女性たちがホームメイドのキムチやそのほかのおかずをご馳走してくれました。ほとんどの人が英語も話すのでコミュニケーションは問題ありません。私も片言の韓国語ぐらい勉強したいと思っていますので、ときどき交換教授です。

20キロの山歩きと聞いて、正直、最初はビビッたのですが、今のところ何とかなってます。足の筋肉の痛みがなかなか取れませんが、そのうち慣れてくるでしょう。空気はおいしいし、緑の森のなかを歩き回るのは実にいいもんです。

韓国がスペインを破った日(土曜日)は、テレビ放映が午前2時半から始まり、さすがにいつもの参加者の半分ぐらいでした。でも、数時間しか寝ないで、その後20キロのトレッキングに20人以上の人たちが来たのには、感心しました。みんな韓国の勝利に興奮していました。レッドデビルの赤いTシャツを着ていた人たちも何人かいました。

6月17日トロント事情

「日本人と日の丸」というのは、確かに興味あるテーマです。
トロントの街に韓国国旗はさかんにたなびいています。私の住んでいるノースヨーク地域はとりわけ韓国系のひとたちがたくさん住んでいるので、韓国旗をつけた車が元気よく走っています。ポルトガルを破ったときは、下町のコリアンタウンは大騒ぎでした。若者たちがブローア通りを占拠して気勢を上げました。
すぐ隣がポルトガル系住民(コリアンタウンよりずっと大きい)のタウンなので、暴動騒ぎにでもならないかと心配しましたが、幸い何事も起こりませんでした。

日本人は相変わらず静かです。スギケンさんもご指摘のように、ワーホリの人たちや学生たちは車を持ってませんから、旗のなびかせようもないですね。このあいだ、勤務先のオフィスにおでこに鉢巻して小さい日の丸の旗をつけた若者が来たのを見たときは驚きました。彼は例外的存在でしょう。

日系カナダ人の人たちが日の丸の旗をたなびかせるということは、まず考えられないことだと思います。彼らは完全にカナダ人です。車に日の丸をつけるという人がいたら、まずまちがいなく過去35年ぐらいの間にカナダに移住した人たちでしょう。あるいは、日本の会社から派遣されたビジネス関係、アカデミアの方たちでしょうか。とにかく、6月17日現在、私が見ている範囲では日の丸はまったく見られません。

おもしろいことに、最近、けっこうカナダ国旗をつけた車もちょくちょく見かけます。ワールドカップに出られるほど強くない国で、街中をよその国のいろいろな国旗がでかいツラをしてのさばっているのに腹を立てた「愛国青年」たちでしょうか? 
 カナダの慰めは、イングランドのオーウェンが、本当はカルガリー出身の「カナダ人」だということを吹聴できることぐらいでしょうか。

6月7日 トロント事情

NHLプレイオフ、東カンファレンス決勝(べスト4)でトロント・メープルリーフスがカロライナ・ハリケーンズに敗れ、トロントの町中でリーフスの旗をなびかせて走る車はすっかり姿を消しました。代わりに、今、トロントではワールドカップに出場している国々の旗を車に付けて走る車が増えています。自分の出身国の旗を付けているのがほとんどだと思います。

カナダは世界中からの移民で成り立つ若い国です。とりわけトロントは、世界でも有数のマルチエスニック、マルチカルチュラル都市の一つとして知られています。やはり目立つ旗は、イタリア、ポルトガル、ブラジルなどでしょうか。おもしろいことに人数的にはいちばん多い英国系の旗はあまり見ません。やはり相当多いドイツ系の旗もそれほど見かけません。お祭り騒ぎが好きなのは、やはりラテン系の民族なのでしょうか。前回のワールドカップの時、イタリアが勝つたびに「リトルイタリア」と呼ばれるイタリア系人口が集中しているあたりは、大変な騒ぎでした。市電を停めてしまい、道路もホコテン状態で大小さまざまなイタリア国旗が道路をうめつくしました。今回も多分、同じことになるでしょう。

トロントにはかなり大きなコリアンコミュニティーがあります。コリアンタウンもあって、その一角の看板はハングルがほとんどです。韓国国旗をなびかせて走る車もかなり見かけます。

コリアンコミュニティーよりはずっと小さいですが、日本人、日系カナダ人もトロントには2万5000人ぐらいいるとされています。日本の国旗を付けて走る車はほとんどないですね。先日、初めて1台の乗用車が日の丸の旗を付けているのを見かけました。日本人は一般的にシャイなのかも知れません。私自身も何となく日の丸の旗を車に付ける気はしないのです。準決勝あたりに進出することになったら、ひょっとして、あわてて日の丸の旗を買い求めに出かけるかも知れません。

5月20日 トロント事情

しばらくご無沙汰している間に、わが街トロントでは、プロスポーツ分野で
いろいろなことが起きました。

NBAのトロント・ラプターズは奇跡的にプレイオフ第1ラウンドに進出しましたが、デトロイト・ピストンズに2勝3敗で破れ去りました。スーパースター、ビンス・カーターなしでここまでやれたことで十分、満足すべき今季の結果だと思います。

NHLトロント・メープルリーフスは、同じようにキャプテン、マッツ・サンディンはじめ計7人の正選手がけがで欠場という逆境の中でがんばってきました。プレイオフ第1ラウンドはあニューヨーク・アイランダースと激闘を繰り返し、ついに4勝3敗で破り、第2ラウンドは「バトル・オブ・オンタリオ」で、オタワ・セネターズと対決。これまた7試合までもつれこみ、4勝3敗で次ラウンドに勝ち上がりました。

そして今や、東カンファレンス決勝(4強)をカロライナ・ハリケーンズとの間で展開しています。5月19日時点で1勝1敗。トロントの街の中では、今、メープルリーフスの青と白のチーム旗をつけた車がやたらに走っています。試合の間は、市内のレストランなどはがら空き。交通もいちだんと静かになります。唯一のカナダチームとして、国中のファンからのサポートを受けています。 「GO LEAFS GO!」

4月28日 トロント事情

トロントの新聞に出ていた医療関係の小さな記事の内容をかいつまんでご紹介しましょう。

オンタリオ州ロンドン市のウェスタンオンタリオ大学のある研究者が、カナダ家族医(family physician)協会誌に発表したリサーチの内容を簡単にまとめたものですが、「最近、都市部を中心に急速に増えている『ウオークインクリニック』は、患者のケアを継続的に行うことを目的としているファミリードクターのやり方を阻害するものであり、無駄な重複サービスを行って医療予算を食うし、ファミリードクターとウオークインクリニックの間での患者の分捕り合戦を招来しかねない」などとして、ファミリードクターたちはウオークインクリニックの存在を歓迎していないという結論に達したとしています。

この研究者たちは1997年に、63人のファミリードクターなどを対象に調査したものですが、ウオークインクリニックに行った多くの患者たちが、クリニックの担当医の薬の処方についてそれでいいのかどうか、自分のもともとのファミリードクターの意見を求めるといった無駄が起きていると報告された例を紹介しています。また、病院の救急医療部のほうからは「ウオークインクリニックは患者をやたらに病院救急医療部に照会しすぎる」という苦情が出ているそうです。

ウオークインクリニックというのは、夜遅くまでやっていて(普通、ファミリードクターは午後5時ぐらいでおしまい)、アポイントなしで訪れることができ、たまたま空いている担当医師が診てくれるところで、もちろん州医療保険でカバーされています。

ファミリードクター側も病院救急部も、今や、一般患者は、ファミリードクターといちいちアポイントを取る面倒をはぶくために、ウオークインクリニックに行くようになったとみているようです。私自身の経験でも、ファミリードクターにすぐその場で診てもらうのはまず不可能ですし(緊急の場合は別かも知れませんが)、眼科医などは1〜2週間先のアポイントはざらです。患者としては、9時〜5時以外の医師へのアクセスを求めているということと、病院救急部に行ったら、何時間も待たされるということへの不満、不安があることが背景になっています。

現在のファミリードクター制度では、9時〜5時以外の患者ケアが系統的、継続的に維持されていかないというのは明らかです。時代に即したファミリードクター制度の改善をしていかないと解決されないのではないでしょうか。場当たり的なウオークインクリニックの対応と、数分の診療のために、何時間も病院救急医療部で待たされる愚を避けるためには画期的なファミリードクター制度を考え出す必要がありそうです。

4月19日 トロント事情

今、トロントは燃えています。ここ数日、気温が急激に上昇、29、30、27℃とまるで真夏の陽気です。この高温の原因はトロントの燃えるスポーツファンのせいかも知れません。
特にプロアイスホッケーのNHL,同バスケットボールのNBAファンには
最高に盛り上がる4〜5月となっています。

NHLのトロント・メープルリーフスは堂々、イースタンカンファレンス4位で
プレイオフ進出。現在、同5位のニューヨーク・アイランダースとの間で死闘を
繰り返しています。18日夜、トロントのエアカナダセンターで行われた初戦では3対1で、わがメープルリーフスが勝利しました。実はメープルリーフスは今回は有力な優勝候補の一つと言われています。栄光のスタンレーカップを数十年ぶりにトロントに持ち帰ることができるでしょうか?

NBAはイースタンカンファランスが最後までもつれにもつれましたが、レギュラーシーズン最終戦で7、8、9位が決定しました。わがトロント・ラプターズ
はクリーブランド・キャバリエを降して7位。21日(日)から始まるプレイオフ第1ラウンドでは、強敵デトロイト・ピストンズと対決します。ラプターズは
スーパースター、ビンス・カーターをひざ故障で失っての奮闘でしたから、立派なものでした。

トロントの気温が急上昇するのも無理はありません。ファンのボルテージは強烈に上がっています!

3月27日トロント事情

きのう(3月26日)は1日中、雪が降り続き、27日早朝までに10〜20センチも積もりました。ちょこっと顔を覗かせていた庭のチューリップなどが、すっぽり雪をかぶって見えなくなってっしまいました。日本ではもう桜が散ってしまったというのに、何という違いでしょう。うんざりしながら昨夜11時ごろからドライブウエーなどの雪かき作業を始めました。
どういうわけか、ひょっこり帰ってきた息子が黙って雪かきを手伝ってくれました。

エネルギーがありあまっている息子の加勢はたのもしく、あっという間に作業は終わりました。

NBAトロント・ラプターズのスーパースター、ビンス・カーターがひざの手術を26日、トロントの病院でやりました。幸いにも、当初心配されていたほどの重症ではなく、強度のリハビリを続ければ、プレイオフ第2ラウンドには復帰できるだろうとのこと。ただし、ここのところ連戦連敗のラプターズがプレイオフに進出することはミラクルに近いとされています。

私のファミリードクターで、私の勤務先のビルの同じ階にあるスパダイナヘルスセンターに所属する女医さんが、2週間ほどの観光旅行のため、今日、日本に向けて飛び立ちました。東京と京都を中心に個人的に旅行します。京都では、スギケンさんに観光知識の手ほどきなどをお願いいたしました。スギケンさん、よろしくお願いいたします

3月10日 トロント事情

ソルトレークシティー冬季五輪では、カナダは予想以上の健闘で史上最多のメダルを獲得しました。特に、アイスホッケーでは男女ともに金メダルを獲得、世界最強ホッケー王国「カナダ」の実力を示しました。トロントでもモントリオールでもバンクーバーでも、男子チーム優勝の直後、多数の市民がダウンタウンにくり出し、メープルリーフ国旗をたなびかして、即興の祝勝パーティー繰り広げられました。モントリオールの若者たちがカナダ国旗を振って優勝を祝っている場面を見ていると、一瞬、カナダを悩まし続けているケベック分離独立問題も消え去ったのかと錯覚してしまいそうです。

五輪後、トロントのホッケー(NHL)、バスケ(NBA)ファンは深刻なトラブルに直面しています。トロント・メープルリーフスは頼みのつなのドル箱ゴールキーパー、カーチス・ジョセフが手の骨折のため6〜8週間休場となりました。プレーオフを控えて、これは決定的な打撃です。これまで、リーフスは好調に飛ばしてきましたが、ジョセフが欠場し始めてからがた落ちになってきました。控えのゴーリーでは強敵相手ではどうしようもありません。このままずるずる行きますと、プレーオフ進出もあやうくなる可能性があります。
思いきったトレードで、もっとマシなゴーリーを入手するしか解決策はなさそうですが、リーフスマネジメントはどう対処するのでしょうか。

NBAトロント・ラプターズもオールスターゲーム後、極端なスランプに見舞われています。3月10日までに確か1勝14敗ぐらいの成績で、13連敗という記録を残しています。プレーオフ進出楽勝とみられていたラプターズが、いまや青息吐息の状態です。先日のトロント市エアカナダセンターのホームゲームで、満員に近いファンの間からラプターズに対して大きなブーイングが起こりました。考えられない事態です。
スーパースター、ビンス・カーターがこれから先、再び負傷欠場するようなことになったら、もう今季はまったく望みなしでしょう。彼に対する依存度が異常に高すぎるのがラプターズの弱点です。

カナダのマニトバ州州都ウイニぺッグのフレデリック・ロス医師は、26年間、ファミリードクターをしてきたベテランドクターです。3カ月前に自分の抱えている患者たちに向かって最後通告を出しました。「これから3カ月以内に喫煙をやめられない人は、もう診療いたしません。よそのお医者さんに行ってください」。明らかに喫煙が患者の健康を害しているのをみて、禁煙するように警告しても一向にやめそうもない人々が多すぎるのに業を煮やしたロス医師の最後通告でした。

それから3カ月たちましたが、ロス医師がほんとうに最後通告を実施したかどうかはまだ分かりません。トロントの呼吸器系のある専門医は「喫煙するからといって診療を拒否するとしたら、国民の約25%の診療拒否をすることになってしまう。ロス医師の行為は多分、患者に対する思い遣りから出たものだと思うが、診療拒否はするべきでない」とコメントしています。

2月25日  トロント事情

やっとソルトレークシティ冬季五輪も終わってくれまして、ノーマルな生活に戻れます。カナダは大健闘でメダル順位で堂々第4位。ロシアを抜きました。

最終日の男子アイスホッケー決勝は盛り上がりました。多分、日本の皆さんにはこの熱気はご理解いただけないでしょう。世界最強のプロホッケーリーグ、ナショナルホッケーリーグ(NHL)の米加のベストプレーヤーたちが、各フランチャイズではなくて国を代表して激突したのですから、すごかったです。試合が始まった午後3時以降、2時間半近く、カナダ中の都市がまるでゴーストタウンのようになりました。日系カナダ人スーパースター、ポール・カリヤなどの活躍でカナダが5対2で米国を降し、何と50年ぶりに五輪アイスホッケーの金メダル奪還です。

試合終了後、トロントでもモントリオールでもバンクーバーでもカルガリーでも、若者たちが一斉にダウンタウンにくり出し、大ストリートパーティーが続きました。こんな騒ぎは実に珍しいことです。
女子アイスホッケーも宿敵、米国を3対2で破り、長野のリべンジを達成。女子チームは、五輪前に米国ナショナルチームと8回対戦して0勝8敗。しかも、どうしてあんな不手際になったのか理解できませんが、五輪決勝で米国人女性が主審を務め、誰がどう見ても疑わしい審判ぶりでカナダチームに8回連続で一方的にペナルティーを与えました。こんな逆境にも耐えてクールに試合を展開、見事勝利をおさめただけにとてもうれしかったです。女子チームでも、トロント出身の日系人選手、ヴィッキー・スノハラが活躍しました。

男子決勝と同じ日、日本の埼玉県で行われた「プライド19」にわが友、カルロス・ニュートンが出場、ブラジルの強豪ホセ・ぺレ選手闘い、見事に1ラウンドKO勝ち。ビデオで見ましたが日本のファンの熱狂的な声援を受けました。

本当に幸せな1日でした。「自分はカウチ(ソファ)で寝そべっているだけで何にもしないで、いい気なもんだ」とはワイフの所感です。

2月3日

トロントでは、150年余ぶりの暖かさ新記録の日(プラス10度ちょっと)を迎えた数日後の1月31日、今冬初めての本格的スノーストームに見舞われました。15〜20センチの積雪で、市内の道路はかなり混乱しました。雪の後、少し気温が上昇して雨に変わり、雪が重くなって家に帰ってからのドライブウエーの雪掻きにはてこずりました。
その後、さらに気温が冷え込んで雪がフリーズ(凍る)するという最悪のシナリオは回避したのでホッとしました。

話題は変わりまして、トロントが誇る異種間格闘技(MMA)のプロファイター、カルロス・ニュートンのことを覚えていますか? 私の友人というか(息子のような年齢ですが)柔術仲間(というと面映いのですが)ですが、2月24日、埼玉県のニューさいたまアリーナで行われる「プライド19」に出場します。13カ月ぶりの日本訪問を楽しみにしています。相手はブラジルの強豪、ホセ・ぺレ・ランディ。カルロスは日本の格闘技ファンの間では抜群の人気です。

私が、前にこのスギケンさんのHPの「トロント事情」にカルロスのことを書いたことが契機となって、日本の熱烈なカルロスファンである男性がスギケンさん経由で私にアプローチしてきて、彼がスタートしたばかりの「カルロス応援サイト」の成長に、私も「応援」することになりました。それが去年の夏のこと。今ではこのサイト、見事に成長しています。 http://ww5.tiki.ne.jp/~c_newton/ 興味がおありでしたらのぞいてみてください。

カルロスは、現在、ファイターとして活躍するほか、トロントのヨーク大学で日本語コース(3年制)をとっています。そのほかに心理学などのコースもとっており、ゆくゆくは医者になりたいという希望を持っています。人間的にも荒々しくなく、純真な好青年です。日本が大好きで、日本の文化を愛し、食べ物も大好きです。特に、吉野家の牛丼にはぞっこんです。「プライド19」を見ることがあったら、ぜひわが友、カルロス・ニュートンを応援してください!!!

1月17日

メル・ラストマン・トロント市長がトラブっています。
私も過去に2度ほどインタビューしたことがあり、
高校ドロップアウト後、セールスマンからビジネスマンをへて、市政界入りしたユニークなアイデアマン市長は、むずかしいことはいっさい言わない、おもしろい市長で、私は好きでした。

1月11日から3日間、世界最大のバイカーギャング組織「へルズエンジェルズ」(こちらの中国語の新聞では「地獄天使」の大見出しが踊っていました)のカナダ支部の面々400人ほどが、トロントダウンタウンのど真ん中のホテルで「年次総会」なるミーティングを開いたのです。警察では、「オンタリオ州に進出したへルズエンジェルズが、ライバル組織などに対してここは我々のテリトリーだということを宣言するのが目的」ととらえています。

警察がホテルの周辺などを厳重警戒したため、何のトラブルもなく総会は終わったのですが、何を血迷ったかラストマン市長が彼等が滞在するホテルにのこのこと出かけ、こともあろうにギャングメンバーと握手している写真が新聞の1面にでかでかと載ったのです。この写真はたちまちカナダ全国に伝わり、ごうごうたる非難の声があがってきました。特にとなりのケベック州からは強い非難が集中しました。

ケベック州では昨年までの6年間にわたるへルズエンジェルズとライバルバイカーギャング、ロックマシーンとの抗争で、160人以上の死者、300人以上の重軽傷者を出しています。モントリオール市で白昼、通りがかりの11歳の少年が抗争事件に巻き込まれて死亡したこともありました。モントリオールの市長は「私はへルズエンジェルズとは絶対に握手しない。彼等がどんな手口で活動資金を集めているのか知ったら、とても握手などできるものではない」と苦々しく語りました。

ラストマン市長は「私は、自分に手を差し伸べてくる者とは誰とでも握手する」と開き直りましたが、生来の口の軽さから「いや、私はへルズエンジェルズがどんな組織かよく知らなかったんだ」などとしゃべって、今度はトロント市警察官協会(組合)がかんかんに怒ってしまいました。彼等が麻薬、売春、恐喝、殺人などの犯罪行為に深くかかわっていることは、子供だって知っています。

へルズエンジェルズのメンバーと握手したとき、彼等のTシャツをプレゼントされました。その後、非難の声が集中したため、市長はメディアの連中の前で、そのTシャツをごみ箱に捨てる芝居を打ちました。今度は、その写真が新聞1面トップに登場です。そうしたら、今度はへルズエンジェルズが「市長は礼儀を知らない」と抗議してきました。

いろんな失敗をしてきても、憎めないところのあるラストマン市長ですが、今度ばかりは市民が簡単に忘れることのできない失態を演じたような気がします。

2002年1月13日

遅まきながら、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
トロントは、いやカナダはここのところニュース不足であんまりおもしろくありません。
オタワの連邦議会もオンタリオ州(トロントはオンタリオ州の州都です)の議会もクリスマス、年末年始休会中で静かなせいもあります。ショッキングな事件などもほとんど起こっていないようです。

新年早々、カナダ全国の新聞、ラジオ、テレビのトップニュースになったのが、
ハミルトンというトロントの西にある、かつては製鉄で栄えた町の住宅街で起きた「ストリート・ホッケー騒ぎ」の一件です。この一事からしても、カナダがいかにニュース不足の所になっているかお分かりになるでしょう。

ハミルトン市の静かな住宅街の一角、エジモント・ストリートに住む女性、ナディアさんは、3軒となりのコーター家の息子ライアン君(10歳)が友達や父親ゲーリーさんなどと自分の家の前の公道上でストリート・ホッケーやフットボールをプレーすることががまんなりませんでした。大きな声を張り上げるのでうるさいし、ホッケースティックで打つテニスボールがナディアさん宅の前庭の芝の上や花壇などに飛んで来るので、芝や花がいたみます。
子供たちが勝手に敷地内に入ってくるのもいやですから、自分でボールをひろって子供たちに投げ返すのも面倒です。

長い間、がまんしていたそうですが、昨年夏、ついに警察に正式に苦情を申し出ました。確かにオンタリオ州の道交法、ハミルトン市条例では公道上でホッケーやフットボールなどをプレーしてはならない、最高の罰金は2000ドル(約16万円)と定めています。でも、警察によれば、実際にこの法律が適用されることはめったにないそうで、よっぽどしつこく通報がこないかぎり動き出す
ことはないそうです。ナディアさんのケースは「よっぽどしつこい」ケースだったようで、警察は訴えを取り上げ、コーターさんを起訴しました。

1月7日に行われた裁判は、カナダ中のマスコミが注目するところとなりました。カナダのほとんどの男の子が経験するストリート・ホッケーが禁止されるか否かというセンセーショナルなヘッドラインが乱れとびました。日本で言えば、通りでキャッチボールができるか否かが決定される裁判といったあんばいです。ところがオンタリオ州裁ハミルトン法廷の担当女性判事は、自分の手を汚す愚を避け「本件に限り、証拠不十分で却下」と裁定し、司法が介入しない姿勢を示しました。あとはハミルトン市議会で市条例を改正するか否かを検討しなければならないでしょう。

もともと、こんなことはお互いが常識を心得て、相手を思いやる心があればこんな騒ぎには発展しなかったはず。多分、ホッケーやフットボールをやろうがやるまいが、ナディアさんとコーター家は不仲だったのではないでしょうか。

ちなみに、この裁判直後、トロントスター紙が実施した世論調査の結果、約80%の回答者がストリート・ホッケーを支持しました。

こんなニュースがトップニュースになっているくらいですから、トロントもカナダも実に平和でのんびりした所ということになりますね。 

トロント事情 11月17日

11月初め、トロント市のオンタリオ州議会に(トロント市はオンタリオ州の州都です)、「身障者用に特別に指定された駐車スペースに違法で駐車する車のオーナー、および身障者に発行される駐車許可証を他人に貸したり、偽物の駐車許可証をつくって使用したり、販売したりする者などに対する現行罰金最高500ドルを最高5000ドルに引き上げる」道交法改正案が上程されました。このような行為をする連中が最近、相当はびこってきているようです。ついに当局も5000ドル(日本円で約40万円ぐらいでしょうか)という罰金で威嚇せざるをえなくなりました。

日本にもこういう手合いがいるのでしょうか?

先月下旬、カナダ全国の約1万4000人のファミリードクターが参加した実態調査の集計結果が報告されました。その一部をかいつまんで紹介します。

この調査によると、カナダのファミリードクターは週平均73時間勤務し、同124人の患者を診るそうです。そのような状態ですから、3分の2のドクターが「新しい患者は取らない」と回答。
例えば長年の患者の子供だとかでない限り、新しい患者は取らないとのこと。別の調査結果ですが、ドクターがこういう姿勢ですから、カナダでは約30%の人々が「特定のファミリードクターを持たない」ということになります。カナダの医療制度では、各人が特定のファミリードクターを持ち、専門医への斡旋や病院への窓口など、ほとんどファミリードクターが受け皿になってやるものですから、ファミリードクターがいないということはシリアスな問題なのです。ファミリードクターがいないと、何かあった場合、病院の救急病棟に行くか、最近、都会では増えて来ている「ウオークインクリニック」のようないつでも行けるが系統的、長期的なケアは期待できな診療所に行くことになります。

これでは、救急病棟での長時間待たされ状態、診療の質の低下などをますます助長することになります。

週平均73時間の勤務時間のうちわけは、53時間がスケジュールされた診療で20時間はオンコール(電話で呼び出される緊急事態ということでしょうか)。傾向としては、農村部や過疎地ではドクターの勤務時間はより長くなるそうで、東海岸のプリンスエドワード島のドクターの中には週平均100時間勤務という人々もいるそうです。

カナダ医師会は、「緊急にあと3000人のファミリードクターが必要」との見解を示しています。

1999年の国勢調査では、カナダ全国には約5万7800人のドクターがおり、その半分以上がファミリードクターです。ファミリードクターの年収は平均9万8700ドル(800万円弱でしょうか)とのことです。

久々のトロント事情 10月26日

9月1日付以来、間に米中枢多発テロ、アフガン軍事行動、炭そ菌パニックと心騒がす出来事の連続と個人的な多忙さでなかなか筆を持つ気分になれませんでした。

再び書く気にさせてくれたのは、スギケンさん日記の琵琶湖バス釣りの話です。

当地トロント近郊でも全然、バスが釣れなくなりました。これは単に私の技量不足だけではないと思います。同行者全員(皆、同程度のビギナーレベルではありますが)が似たような釣果です。トロントから車で2時間ちょっと北東に行ったピーターボロという湖がたくさんあるところによく行くのですが、船外機付きの小さいボートを借りて1日やっても肝心のバスやウオールアイという獲物は、良くて1匹、あるいはボウズというのが毎回。もう釣りを断念しようかとさえ思い始めています。

琵琶湖と同じで高価なルアーを使っても何にもひっかりません。ミミズにすると「パーチ」という小魚がボンボン釣れます。小さいくせに口がでかく、大きな針を奥のほうまで飲み込みます。針を外すのが一仕事で、時には器具を用いて外科手術です。厳冬期のアイスフィッシングで釣れるパーチは美味だとされていますが、夏場のパーチは誰も振り向きません。このパーチはまだ日本には輸入されていないのですかね? バス、ブルーギルに続いて日本上陸も時間の問題ではないでしょうか。少し黄色みのかかった体に、黒っぽい縦の太め縞模様があります。

前に日本から来た友人夫婦を連れて釣りに行った時は、パーチを釣り上げて興奮状態でしたが、私はその興奮を共有することはできませんでした。

知り合いの日本人セミプロフィッシングガイドの人に言わせると、「バスがいないのではなく、きみらがバスのいないところばかりに行って竿をたれているだけのこと」だとのたまいますが、私には信じられません。

トロント事情 9月1日

トロント市の大総合病院「サニーブルック&ウイメンズカレッジ病院」の医師でトロント大学医学部の教授でもあるドナルド・リデルマイヤー医師らが、8月30日付の「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」誌に興味深い論文を発表しました。リデルマイヤー医師は、私自身、前にインタビューしたことがありますが、その時は「車を運転中に携帯電話を使用していると、使用していない時の4倍ほど事故を起こす可能性が高くなる」という論文を発表して話題を集めていた時でした。彼は内科の専門医でありながら、いわゆる疫学者としても研究をしているユニークな人物です。

今回の論文は、「カナダ全国の病院で、週末のスタッフとして週日並みのスタッフを充当できたら、年間約500人の生命を救うことができるだろう」というショッキングなものです。要するに、ある一定の病状を持った患者が病院に収容される場合、その患者が月曜〜金曜に収容されるよりも、土曜、日曜に収容された時のほうが死亡する確率ははるかに高いというわけです。一例として気管の炎症の患者が週末に収容された場合の死亡するかも知れないリスク率は、週日のそれの約5倍ほど高くなるということです。

これは、1988年から1998年の間に、オンタリオ州の病院の救急病棟に収容された380万件の患者のケースを調査した結果だそうです。救急車で運ばれた患者、家族などが車で搬送した患者などすべてのケースを網羅しています。

問題は、週末の病院スタッフは、週日のスタッフよりも少ないうえに、経験の乏しいスタッフが多いことだと指摘されています。週末には部長クラスの人間が少なく、部長クラスの者がいたとしても、欠員のスタッフの穴埋めできわめて忙しく、病院の総括的なコミュニケーションが分断される可能性があるとも指摘しています。

多くの病院では、週末には専門医が不在だったり、診断のための装置や機械などを操作できるテクニシャンなどがすべてそろっているということがないというのが実情のようです。今回の論文では「すべての医師が週7日働く必要はない。同時にすべての医師が同じ日に休む必要もないだろう」と示唆しているそうです。

リデルマイヤー医師は「週日の間に具合が悪くなったとしたら、病院に行くのを週末に延期しないようにしたほうがいい」と警告しています。「世界に誇るメディケア」と豪語しているカナダの医療にも、こんな欠陥もあるんです。日本の場合、どんなもんなんでしょうかね?

8月30日発信

先週、8月24日のこと、カナダのチャーター航空会社、エア・トランザット(本社・
モントリオール)のトロント発リスボン行き236便(エアバスA330型機、乗客
291人、乗員13人)が、北大西洋上空で飛行中にまず右側エンジンがストップし
てしまいました。高度3万9000フィートです。徐々に高度を下げて3万2000
フィートを飛行中に今度は左側エンジンもストップしてしまいました。原因は分から
ないけれど、航空燃料がエンジンから漏れて全部なくなってしまったらしいのです。

巨大なエアバス機はグライダーのように音もなく漆黒の夜の空を滑空し始めました。
最初、パイロットは北大西洋の海面に不時着水を考えましたが、190キロほど先に
ポルトガル領アゾレス諸島があり、そこに飛行場があることが分かりました。ピシュ
正操縦士(49)とデジャガー副操縦士(28)は二度とやり直しのきかない「下降」
に入りました。約18分後、エアバス機は見事に大西洋上の小島の飛行場ランウエー
に着陸しました。着地の際の衝撃で10本のタイヤのうち8本がパンクし、10人ほ
どの乗客が軽傷を負っただけでした。着陸の後、乗客の多くが正副操縦士やスチュワー
デスたちに駆け寄り、彼らの沈着な行動に感謝したそうです。

飛行歴30年、滞空時間1万5000時間の正操縦士は「操縦士として訓練を受けて
サラリーをもらっている者が当然やるべきことをやったまで」と淡々と語ったと伝え
られています。

ちょっと想像してみてください。巨大なジェット旅客機が音もなく闇夜を18分間も
滑空していく場面を。洋上に浮かぶ小島を目指して、再び上昇することが不可能な、
決してやり直しのきかない下降。

人間ってすごいわざをやってみせることもあるんだなと思いました。多分、日本の皆
さんには伝わらないニュースだと思いますので、お知らせしておきます。

8月23日 発信

カナダのほとんどの病院で、本来は1回使用したら捨てるべきはずの各種医療器具が、多い時には20回もリサイクルされて使われている。どのような手順で消毒すべきかなどの基準もないまま、各州、各病院で勝手にやっている状態だ.   このようなショッキングなニュースが8月22日から23日にかけて全国で報道されました。この問題は2年前、連邦議会下院で野党のある女性議員が提起してから、保健省内に調査委員会が設けられ、このたびその報告書が発表されて明るみに出たことです。この報告書では、「医療器具メーカーは1回しか使用できないものとして生産し、そのように各器具に明記されているものなのに、病院で勝手にリサイクルして万一、感染などの事故が起きた場合、責任は病院が問われる」と警告しています。

日本語の専門用語が分かりませんので、以下に英語でそれらの医療器具の名称を記します。
Biopsy forceps, Snare, EMG needles, Endoscope attachments, Cardiac EG catheters, Ambu bag mask, Endotracheal tube, Nasal prongs

これに対して、医師たちは「連邦政府が医療交付金の大幅削減をしたために、病院ではあらゆる方法で少しでも経費を節約せざるをえない状態に追い込まれている。器具のリサイクルもその一つだ」と反論。同時に、医療器具メーカーが「使い捨て」を押し付けて利潤追求を図ろうとしているとも批判しています。

カナダでこのような医療器具のリサイクルを禁じているのはマニトバ州だけだそうです。

日本ではこんな問題はないでしょうね?

8月21日発信

話はいささか旧聞に属しますが、8月初め、カナダは世界で初めて医療目的に限定したマリフアナの合法使用を認める国になりました。世界初というのは、新聞にそう書いてあったので引用しているまでですが、エイズやMSなどの患者の鎮痛剤として、マリフアナの使用を公認するというものです。

カナダのほぼ中央に位置するマニトバ州の州都ウイニぺッグの北西650キロにフリンフロンという小さな町があります。変わった名前の町ということぐらいしか知られていないへんぴなところに、元銅山だった廃鉱があります。地下数百メートルの銅山跡を全国唯一、政府公認のマリフアナ栽培所にしたのです。厳重な警戒のもと、昼夜を分かたず太陽灯を浴びせて急速に成長させる仕組みだそうです。8月末ごろまでには収穫してマリフアナの組成分などを分析し、幾多の臨床実験を経て、来年2月ごろから必要としている患者に供給されることになっています。

現在までに、全国で約300人のエイズ、MS患者らが鎮痛剤としてのマリフアナ使用を認可されている由です。ほかに約500人が使用認可を申請中だそうです。

カナダ医師会は、鎮痛剤としてのマリフアナ合法使用に強く反対しています。習慣性が強いのと、長期に使用した場合にどのような弊害が出る可能性があるのか、十分に検証されていないというのが主な理由です。

カナダ政府のロック保健相が先日、たばこの「マイルド」「ライト」などの表示は人をあざむく真っ赤なうそだと激しくたばこ産業を攻撃し、法的措置をもってその種の表示を禁止するとカナダ医師会の年次総会で演説しました。その時、医師会側からは、「マリフアナの合法使用を認めた人間の口から出る言葉とは思えない」という非難の声が上がったそうです。

8月1日発信

NBAトロント・ラプターズのスーパースター、ビンス・カーターが今日午後、トロントのエアカナダセンターで記者会見し、2002〜03年度シーズンから6年の長期契約更延長をラプターズとの間で結んだと発表しました。
リーグきっての人気プレーヤー、カーター(24歳)との契約が2001〜02年シーズンで切れてフリーエージェントになった後、実は多くのファンが「カーターは絶対に米国のチームに移るに決まっている」と非観的に考えていました。創立6年の若いカナダのチームが優勝を狙うことなど遠い夢として、もっと現実的に優勝を狙える米国の強豪チームに引き抜かれるに違いないと思うのは自然のことです。

カーターはきょうの記者会見で「金だけが問題じゃない。私がほかのチームに移って何百万ドルというお金を稼ぐことは可能だけれど、それでハッピーじゃないとしたら意味がない。私はラプターズでプレーすることでハッピーだし、ファンもこの町も私にとって実に居心地がいい」と語りました。ちなみにラプターズがカーターに提示した契約金は6年で9400万米ドルとか。カナダ一の高給取りスポーツマンとなりました。

ラストマン・トロント市長は早速「8月1日をビンス・カーター・デーと命名する」とぶちあげています。

7月18日発信                            7月13日、金曜日。 モスクワからのニュースは「凶」と出ました。大阪はもっとひどかったですが、トロントも北京に惨敗でした。2008年夏季五輪開催都市を決定するIOC総会のニュースです。「ひょっとしたら」官主導の北京に民主導のトロントが一泡吹かせるかも知れないという期待感が何となくありました。前日夜から、ダウンタウンのユニオン駅前をホコテンにして特設舞台をつくりバンドが演奏して前夜祭をやりました。当日朝、大勢の市民がつめかけ、ジャンボトロンに映し出されるモスクワ会場からの映像に見入りました。サマランチ会長が「北京」と言った途端、異様な沈黙が会場を覆ったそうです。中には悔し涙を浮かべていた人もいたようですが、私の見るところ、トロントニアンは、いやなことはすぐ忘れるタイプが多い。「So what?」「Who cares?」とか言いながら、何事もなかったように日常のルーティンに戻っています。

夏季五輪は勝ち取れなかったけれども、トロント市のウオーターフロント(五大湖の一つ、オンタリオ湖に面した)の再開発計画(総額120億ドル)は本格稼働することになりましたので、市民にとってはイーブンの結果になりました。

数日前、オンタリオ州保健省と州病院協会が協力して実施した州内総合病院の「成績表」の採点結果が発表されました。「利用患者の満足度」「財政状態」「ニューテクノロジーの導入」などの項目ごとに最高5つ星から最低1つ星までの段階で評価を下すというもの。利用患者の満足度に関しては、トロント周辺で5つ星を取った病院はただひとつ。そうです、「トロント小児病院」だけでした。州内約7万人ほどの患者さんたちにアンケートを依頼、約3万人ほどの回答者の回答をまとめた結果だそうです。

6月19日発信

トロントがいちばん美しい月(と私は思っています)6月も下旬に入り、いろいろなイベントがめじろ押しの状態です。先週末には市庁舎前広場で世界の大道芸人のフェスティバル「バスカーズフェスト」があり、この週末にはホモセクシュアルの人たちのお祭り「ゲイパレード」があります。十数万の人々が見物に来ると伝えられています。それからトロントのジャズフェスティバルがあり(有名なモントリオールのジャズフェスティバルほどの規模ではありませんが、年々よくなっています。今年はチック・コリアが来ます)、7月1日は建国記念日で町をあげてにぎやかに行事が繰り広げられます。

そして、7月13日には、モスクワのIOC総会で2008年夏季五輪の開催地が決定されます。北京、トロント、パリの争いとみられていますが(大阪、イスタンブールには歩がなさそうです)、はたしてトロントに勝ち目はあるでしょうか。

オタワの連邦議会では、第一野党のアライアンス(同盟)党が内紛で空中分解しそうです。これでは、与党・自由党の天下がまだまだ続きそうです。一つの党が単独過半数を制して長く居座るのは、決して健全な政治形態とは言えません。同盟党内部では、有権者の期待を集めてさっそうと登場したストックウエル・デイ党首を支持する派とけなす派に分かれ、お互いに傷つけあっています。笑いがとまらないのはクレチアン首相率いる自由党政権の面々です。

大平洋岸のブリティッシュコロンビア州でも、大西洋岸のノバスコシア州でも看護婦組合が賃上げや労働条件の改善などの要求を掲げて全面ストに突入です。カナダの多くの看護婦さんが、カナダにやってくる米国の病院などのリクルータ−の誘いに応じて米国に移っています。条件ははるかにいいのです。

カナダでは、確かに基本的な医療はすべて無料で実施されていますが、MRIやCTスキャン、専門医の診察、手術などとなると、よほど重篤でない限り、数カ月も順番待ちです。これでは、何のための医療かと疑問を抱かざるをえません。先日、トロントで開かれた国際医学会に出席された日本からのお医者さん方数人とこの話をしましたが、異口同音に「日本では考えられないことだ」と言ってました。

5月21日発信

しばらくの御無沙汰でした。最近、「スポーツ偏重」に陥っていると自省しておりま
した。それで、何となく筆が重くなっていましたが、今回を最後にしばらくは触れな
いようにしたいものと思っております。

NHL のトロント・メープルリーフスはベスト8まで残ってがんばりましたが、昨季
優勝チームのニュージャージー・デビルズと死闘を繰り返し、シリーズ3勝3敗にも
つれ込み(4勝あげたほうが勝ち)、敵地に乗り込んでの運命の第7戦、5対1の惨
敗を喫しました。リーフスのスタンレーカップ奪回の悲願は今季もおあずけとなりま
した。

NBA のトロント・ラプターズがリーフスに代わって、カナダ全国民の応援を受けて
がんばりました。やはりベスト8まで進み、フィラデルフィア・セブンティシクサー
ズと激突、これまた3勝3敗のタイになりました。シクサーズのアイバーソン、ラプ
ターズのカーターという2大スターの競演となりましたが、20日フィラデルフィア
で行われた最終戦は最後まで手に汗握る大接戦でした。終了2秒前まで1点差でシク
サーズがリード、最後にカーターが放ったシュートが入ればラプターズの逆転勝ちで、
カーターがジャンプしてシュートした時はまさに時がストップしたかと思われました。
ボールは半個分ほどオーバーでリングの上に落ちて外に飛び出てしまい、その瞬間、
ラプターズの夢は終わりました。

悪いニュースの後はよいニュースを。トロント在住で私の若い友人である異種間格闘
技プロファイターのカルロス・ニュートンが5月4日夜、米ニュージャージー州アト
ランティックシティーのトランプ・タジ・マハール特設リングで行われたUFC(アル
ティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)31回大会に出場しました。世
界ウエルター級タイトルマッチが行われ、無敗の王者、パット・ミレティッチにカル
ロスが挑戦したのです。1回、2回と軽快なフットワークでジャブを放つ王者にカル
ロスなかなか攻めこめず、テークダウンをとっても堅いガードにはばまれます。3回、
このままでは何となくパットの優勢勝ちになるかと思われていた中で、2人の体がも
つれあってパットが柔道の払い腰のような技をかけようとした瞬間、カルロスが返し
技で相手の体を乗り越え、カルロスの左腕がすっぽりとパットの首にはまりました。
渾身の力をこめてギロチンチョークをかけるカルロス、パットがたまらずタップして
試合終了。カルロスの鮮やかなKO勝ちでした。

5月10日夜、トロント北郊リッチモンドヒルのレストランで、カルロスの凱旋パー
ティーが開かれました。地元の格闘技関係者、友人ら60人以上が集まりにぎやかに
世界チャンピオン誕生を祝いました。今、カルロスは5月27日横浜で開催のプライ
ド14観戦のため訪日中です。プライド側の招待で行っています。私もかばん持ちか
なんかで行きたかったのですが。

5月2日発信

トロントに春・秋はないということはよく言われていますが、今年のようにそのことを痛感させられる年も珍しいのではないでしょうか。ここ数日間、連日20〜25度が続き今日は28度、明日は30度の予報が出ています。我が家の裏庭の桜もあっと言う間に満開です。10日ほど前までヘビーコートにブーツだったのが、今はショートパンツにTシャツ姿で歩いている人々がいます。もっとも、カナダの東端、ニューファンドランドではきのう24センチもの積雪があったそうです。

プロスポーツで燃えているトロントですが、NHLはトロント・メープルリーフスが第1ラウンドで格上のオタワ・セネターズを4勝0敗で降して第2ラウンド(ベスト8)に進出、現在、昨季優勝チームで今季も連覇の呼び声高いニュージャージー・デビルズと死闘を繰り広げています。今日現在、1勝2敗とリーフスが負けていますが、落とした2戦、3戦ともオーバータイムのサドンデスで負けていますから、紙一重です。

NBAは、トロント・ラプターズがニューヨーク・ニックスと対戦、1勝2敗で王手がかかっています。実は今、注目の第4戦がトロントのエアカナダセンターで行われている最中ですが、ウチが加入しているケーブルのスポーツ専門局では放映していません。ラプターズのスーパースター、ビンス・カーターがオーバーワーク気味で肝心な時にエンジンがかからず、ニックスに逆転勝ちはまず不可能とみています。

ブルージェイズは相変わらず快調です。5月11〜13日、マリナーズがトロントのスカイドームにやってきます。今季唯一、トロントでイチローが見られるチャンスとあって、日本人野球ファンが大挙して押し掛けると思われます。

スギケンさんのHPにアクセスされる方々の中に格闘技系はあまりいらっしゃらないと思いますが、前に書いたトロント在住で私の若い友人のプロファイター、カルロス・ニュートンが5月4日夜、米アトランティックシティーで行われるUFC31に出場します。UFCは米国の何でもありの異種間格闘技で最も歴史のある大会ですが、カルロスはその夜のメインイベントの一つ、世界ミドル級選手権試合にチャレンジャーとして登場します。相手はクロアチア出身のベテラン、パット・ミレティッチ。カルロスは柔術を得意とし、日本では「褐色の宮本武蔵」の異名を取っています(「プライド」)。プライドと言えば、彼は5月27日、横浜で行われる「プライド14」にも
出場の予定です。リングに上ると強〜い男ですが、普段はトロントのヨーク大学で日本語の勉強に励む気のいい24歳の青年です。

4月19日発信
今トロントは「メープルリーフス旋風」が吹きまくっています。4月9日の本欄で私が予想した「トロント・メープルリーフス敗退説」は見事にひっくり返されました。
NHLプレーオフのことです。リーフスが、断然格上とみられていたオタワ・セネターズを4試合連勝で一蹴してしまったのです(注=プレーオフは各シリーズとも7試合中、先に4勝したチームが勝ち)。リーフスがプレーオフで4勝0敗というのは、実に52年ぶりのこと。街は一挙に「ゴー・リーフス・ゴー!」のムードたけなわとなりました。

しかし、戦勝気分に水を打つわけではありませんが、リーフスにとって第2ラウンド(ベスト8)の対戦相手はどうも昨シーズンの優勝チーム、ニュージャージー・デビルズになる公算が大なのです。デビルズも第1ラウンドの相手チーム、キャロライナ・ハリケーンズを3連破し、4試合目もほとんど掌中に収めたのですが、必死のケーンズの反撃にあい、4試合目を落としました。いずれにしても、デビルズがベスト8に進出するのは間違いないでしょう。リーフスにとって非常に手強い相手であることは言うまでもありません。大柄でアグレッシブな選手を多く抱え、容赦なく体当たりをぶちかます荒っぽい試合っぷりで知られるデビルズは、まさに「悪魔的」な存在です。
優等生リーフスではたちまち粉砕されて、勝てそうにありません。邪をもって邪を制する精神に徹し、相当悪にならないと勝機は訪れないでしょう。そのためのコマはけっこうそろっています。ドミ、コルソン、タッカー、マンソン、ロバーツなどのタフガイが、必要な場面で体を張ってプレーすれば、デビルズの連中もそう勝手なまねができないことを知るでしょう。

リーフス対デビルズ戦シリーズ、非常におもしろいものになると思います。4月21日から始まるNBAのプレーオフには、トロント・ラプターズが登場です。相手はニューヨーク・ニックス。こちらの人気も盛り上がりつつあります。春のトロントはプロスポーツで燃えています。(それにしては、朝晩は氷点下でまだ凍えていますが)

4月9日発信

きのうの夜中には雷が鳴って小指の先ほどのひょうがバラバラッと降ってきたと思ったら、天のバケツをひっくり返したような超豪雨。それが昼間になったらさんさんと太陽が輝き、気温22度。
それが今夜はまたヒーターなしではとてもがまんできない寒さです。

今週からNHL(ナショナルホッケーリーグ)のプレーオフ開始です。トロント・メープルリーフスは直前まで東部地区の7、8位争いのデッドヒートに巻き込まれ、ファンをやきもきさせました。最終的に7位に食い込み、辛うじて進出。第1ラウンドで東部2位のオタワ・セネターズと対決です。今季、リーフスはオタワと5回対戦しましたが全敗。すっかり実力をつけて
きたオタワにはとても勝てそうもありません。残念ながら第1ラウンドであっさり敗退と見ています。

プレーオフ進出16チームのうち、カナダのチームは4チームあります。前述のトロントとオタワ、それにエドモントン・オイラーズ、バンクーバー・カナックス。バンクーバーも辛うじて西部地区の8位入りを果たしたチームで、第1ラウンドの対戦相手が優勝候補の一角、コロラド・アバランチとあってはひとたまりもないでしょう。
エドモントンはひと波乱巻き起こす可能性があります。若さと馬力あふれるこのチームは、アイスホッケーではあまり見ない黒人選手たちをいちばん多く抱えています。
「失うものは何もない」という捨て身の攻撃ぶりで、第1ラウンドの対戦相手、強豪ダラス・スターズに挑んでいきます。

従って、カナダのチームで期待できるのは、エドモントンとオタワと見られています。しかし、おおかたの評論家は、決勝戦はニュージャージー・デビルズ対コロラド・アバランチの組み合わせと予想しているようです。

大リーグも始まり、今夜、トロント・ブルージェイズの地元スカイドームでの初戦がありました。今の所、アメリカンリーグのトップクラスの成績です。長打力では群を抜いているようですが、泣きどころは投手陣。5月中旬にはほかでもないシアトル・マリナーズがスカイドームで3連戦です。日本からの報道陣も相当な数にのぼるので
はないでしょうか。ナショナルリーグのモントリオール・エクスポズが快調に飛ばしています。現在、トップを快走中です。伊良部は故障で欠場中ですが、ひょっとすると吉井が加入する可能性濃厚と伝えられています。今季のモントリオールは相当暴れそうですね。

3月20日 発信

日本風に言えば春の彼岸というのに、トロントはまだ日中でも2ー5度ぐらい。夜はもちろん氷点下です。
早く書きたいことがあったのですが、身辺多忙で今日まで先送りになってしまいました。これはスギケンさんが研修に来ておられた世界的に知られる「トロント小児病院」の話題です。医学的な専門用語などはへんな訳語があってもお気になさらずに。

3月14日、トロント小児病院の心臓専門医、ロリー・ウエストさん(女医)を中心とするチームが、1996年から2000年の間に、生後4時間から1年2か月までの赤ちゃん10人に、血液型の違う臓器提供者の心臓を移植したところ、10人のうち8人までが現在、元気に毎日を過ごしていると発表しました。残りの2人は死亡しましたが、直接の死因は血液型の不適合からくる拒否反応ではなかったと報告されています。

成人や一定の年齢以上の子供の場合、不適合の血液型のドナーの心臓は移植すると拒否反応を起こし、移植を受けた患者は死亡するすることがほとんどだったそうです。
ところが、生まれてまもない赤ちゃんの場合は、免疫システムがまだ完全に発達していないため、強度な拒否反応を起こす原因となる antibodies が生後6ー8か月までは存在していないと考えられると、ウエスト医師のチームは結論づけているそうです。

これまでの例では、新生児で心臓移植を必要とする場合、マッチする血液型の臓器提供者が現れるまで待機している間に、58%の新生児が死亡していたそうです。今後、不適合血液型でも心臓移植ができるとなると、この死亡率は7%に激減しますし、これまでせっかく貴重な心臓提供の申し出があっても血液型不適合で無駄になっていたことがほとんど解消される可能性があります。

以上の研究に関する詳細論文は3月15日号の New England Journal of Medicine 誌に掲載されています。

3月7日 発信

トロントはおとといの朝からきのうの朝方まで雪が降り続き、20センチも積もりました。もういいかげんにしてもらいたいもんです。仕事から帰ってきて1時間以上雪掻き作業で、また腰が痛くなりました。

IOCの評価委員会の面々が大阪に続いて、今日トロントにやってきました。今朝から天気は一転しまして雲ひとつない快晴、太陽がまぶしく、空は真っ青。評価委員会の連中には非常にいい印象を与えたのではないでしょうか。1〜2日早く着いていたら大雪のトロントで、さぞかし違った印象を受けたことでしょう。

考え方によっては、20センチも積もった雪が、トロントの地上の汚いものを皆隠してくれたとも言えます。
ところで、トロントでは芝生もすべて雪の下に隠れてしまいましたから、どこかの都市のように緑の着色剤だか発色剤だかをスプレーする必要もまったくありません。

トロントでは、評価委員会の人々が来る2日前になってやっとこさ、メーンスタジアムや選手村などの建設予定地も含まれるオンタリオ湖畔のウオーターフロント周辺再開発計画を、連邦政府、州政府と市の3者が一体となって実行に移すことが正式決定しました。市財政が今会計年度で3億500万ドルの赤字計上の上、40年も前の不倫のつけが今頃回ってきて、元愛人と、彼女が「あなたとの間にできた子供」と称する40歳前後の2人の男性が現れて、600万ドルもの慰謝料請求の訴訟を起こされ、さすがの張り切り市長、メル・ラストマン氏も最近、落ち込み気味かと心配されていまた。IOC評価委員会の訪問で少し元気が出てきたようです。ラストマン市長は2人の男性が自分の子供であるということは、公には肯定も否定もしませんでしたが、市長そっくりの2人の男性の写真がでかでかと新聞の1面をにぎわせた時には思わず笑ってしまいました。

そんな「醜聞」が明るみに出ても、「辞めろ」などという者は全然出てこない市長は、やっぱり市民から好かれているんでしょうかね。

2月28日発信

大平洋岸の一部の地域を除いて、まだ春の気配を少しも感じることのできないカナダ
らしい話題をお届けしましょう。トロントの情報ではありませんが、このニュースは
先週末から今週にかけて、カナダ中の新聞、テレビ、ラジオなどのトップニュースに
なったものです。

2月24日未明、アルバータ州の州都、エドモントンのある家から1歳1か月の女児
がおむつとTシャツ1枚というかっこうで裏庭に出ていってしまったのです。母親は
すっかり寝込んでいて気がつきませんでした。表はマイナス20度前後、女児は数時
間、極寒の裏庭をさまよったあげく、凍傷のため意識を失って雪の中に顔を埋めるよ
うにして倒れてしまいました。

母親が目を覚まして女児がいないことに気付きました。半狂乱になって探し回り、裏
庭に倒れているのを見つけたのです。その時点では、呼吸も心臓も停止していました。
あとで治療にあたった医師の話では、約1時間半の間、心臓が停止していたというこ
とです。救急隊員が駆け付けた時には、両足がすっかり凍りつき、口も凍ってしまっ
ていて、開けることができず、管も何も挿入できなかったそうです。体温はたったの
16度しかありませんでした。

アルバータ大学病院に搬送され、懸命の蘇生作業が行われました。詳しいことは分か
りませんが、心臓と肺を蘇生させるための非常に高価な器械があるのだそうですが、
不思議なことにこの女児は器械を作動させる前に、自力で心臓の鼓動を回復し、呼吸
もするようになったそうです。超低温になったことが、動物の冬眠と同じように、通
常の血液量や脳の働き以下で生命を持続できるように身体のメタボリズムを変化させ
たのではないかと言われています。

凍傷のためダメージを受けた手足の先は、整形手術の必要があるかも知れません。現
在のところ、脳のダメージは奇跡的にないようだと言われています。医師団は、長期
的な脳への影響については現時点では予測できないとしており、定期的にモニターし
ていくようです。女児は昨日あたりからにっこり笑うようになったと報じられていま
すし、写真などで見る限り、健康な赤ちゃんとそう変わらないように見えます。

担当の医師の一人は「この赤ちゃんの生還の事実を目の前にして、人間の命のすばら
しさに思いをはせます。その力の源をなんと呼ぶかは、人によって違うでしょうが、
明らかにこの赤ちゃんにはその『偉大なるパワー』の守りがあったのでしょう」と語っ
たとのことです。

2月16日
トロント市とその周辺一帯で2月15日午前8時をもってオンタリオ州政府肝いりの
新サービスが開始されました。「テレヘルス・オンタリオ」と呼ばれるこのサービス
は、専用電話番号に電話すると、レジスタード・ナース(正看護婦)が応対し、軽い
けがや病気の症状から一般的な健康知識、薬、ヘルシーダイエット、禁煙、ライフス
タイルなどに関する質問に答えてくれるのです。程度に応じてファミリードクターに
行きなさいとか、すぐ病院の救急医療センターに行きなさいとかの指示も与えます。
場合によっては、「毒物情報センター」「薬剤師アドバイスライン」などの電話相談
センターに接続してくれます。

テレヘルス・オンタリオは1日24時間、週7日間、すべて無料で原則として地域に
住んでいる誰でも利用できます。州医療保険(OHIP)の被保険者ナンバーを言う必要
もありません。応対する正看護婦スタッフは計144人、全員が正看護婦経験5年以
上。年間予算4500万ドルで、州政府が民間企業に委託して運営されます。

州政府の狙いは、医療予算の大幅削減の結果、自ら招いた「医療の荒廃」を少しでも
失地回復させようというのは明らかです。各病院の救急医療センターの長時間待たさ
れ状態、医師、看護婦、テクニシャンなどの過重労働、人員不足などを少しでも軽減
しようという意図です。これが実際にいいアイデアかどうかは少し時間をかけて実績
をみていかないと判断できないでしょう。ただ、このパイロットプロジェクトは、オ
ンタリオ州北部のある地域で1999年6月から実施されています。政府発表では、
月平均約6000件の電話がかかり(8時間シフト平均で30ー40件)、電話をか
けた人々のうち約40%はファミリードクターや救急医療センターに行く必要がなく
なったということです。しかし、パイロットプロジェクトの実施地域は、大きな都市
は少なく、非常に人口密度の低い地域ですので、カナダ最大の都市、トロント周辺と
では量的にも内容的にも大きな違いが出てくると思います。

このテレヘルス・オンタリオですごいなと思うのは、基本的にカナダの公用語である
英仏語で利用できるものであるのに、さらに100カ国語以上の外国語通訳サービス
も可能だということです。これにはもちろん日本語も含まれています。利用者と正看
護婦の間に各国語の通訳が介在し3ウエーの会話が進行することになります。この通
訳サービスは警察・消防・救急の「911」電話通報でも同じシステムが使われてい
ます。世界でも有数のマルチエスニック、マルチカルチュラル、マルチ言語都市、ト
ロントならではの優れたサービスだと思います。

2月10日  ラティーマ裁判その後

重度脳性小児まひの自分の娘(当時12歳)を「耐えられない苦痛から救い出すため」
に、トラックの排ガスで「安楽死」させた父親、ロバート・ラティマー(47歳)が
今年1月18日、カナダ連邦最高裁の判決により第2級殺人罪で有罪が確定、即日、
ラティマー自身がサスカチュワン州刑務所に出頭、収監され始めてから3週間以上が
過ぎました。

ラティマー自身が州刑務所まで車をドライブして下車してから正面入り口に向かって
歩いていく際、記者団から質問された時、彼は「1週間もすれば人々は私のことなど
すっかり忘れてしまっているだろう」と言い残して刑務所内に入っていきました。3
週間たった今、確かに新聞、テレビ、ラジオなどから彼の名前はほとんど消え去って
しまったようです。

収監直後の世論調査などでは、「ラティマーが、凶悪犯罪者が殺人を犯したのと同じ
ように終身刑(最低10年間は仮釈放申請の可能性なし)というのは酷だ。刑期を短
縮するよう特別なはからいをすべきだ」という声が多数派でした。心身障害者の擁護
団体などの間では、ラティマーの行為は「殺人であり、終身刑は妥当」
という見解が示されているようです。

司法レベルでラティマーの減刑を実施することは不可能です。連邦最高裁の判決を覆
す道はありません。残された可能性は、連邦政府の法相が署名して実施される恩赦だ
けです。「心身障害者の人権、生きる権利」「安楽死か殺人か」などの高度に政治的、
倫理的な課題だけに、政府があえて論争の火種に手をつけることはしないだろうとい
う見方が主流です。

ラティマー自身がつぶやいたように、人々の心の中からラティマーの存在感は急速に
薄れつつあるような今日このごろです。

2月8日朝、突然の大雪でトロント周辺は25センチの積雪です。朝の通勤ラッシュ
時で交通は大混乱でした。そうかと思うと翌日は日中気温がプラス12度。異常な天
候が続いています。

1月31日発信

スギケンさんの不定期日記、1月28日付の中で「トロントは車検なし。走ればどんな車でもオーケーです」という記述がありましたが、読者の方がトロントはどんな野蛮な所かと勘違いなさるといけないので、一言。

トロント市が所在するオンタリオ州では、自分の車を売る時には、かなり広範囲にわたる「セーフティーチェック」を州政府に認定された修理・整備業者で受けなければなりません。これにパスしないとその車は売れないことになっています。確かに、新車を買ったり、中古車でも安全検査をちゃんと通ったものをいったん買えば、自分で売却しない限り、安全検査は受ける必要はありません。そういう意味では「車検はないようなもの」とも言えます。車を売らないで長くキープする場合は、自分の責任においてメインテナンスをするということでしょうか。それと、これは数年前から始まったことですが、1年おきに全車両が排ガステストを受けなければならなくなりました。州政府認定の修理・整備業者のところでテストを受けますが、手数料が25ドルで、テストに落ちるとパスするまでエンジンチューンアップなどをしてもらわねばなりません。もちろんその費用は自己負担です。もっとも、これにも抜け穴があるようで、自動車用品などの店にいくと、堂々と「排ガステストにパスするためのエンジンクリーナー」とか銘打った液体が容器に入って売られています。これをテスト前にガソリンスタンドでガソリンを買い、その際、このマジックフォーミュラをガスタンクの中に入れてミックスするわけです。一度私もこのテを使い、絶対にパスするはずのない1988年型のホンダ・プレリュードが見事一発でパスしたことがありました。もっとも、この車はほかのトラブルで、そのあとまもなく使用不可能になりましたが。

トロント事情 2001年1月19日 発信

1月18日、オタワにあるカナダ連邦最高裁で1993年秋、サスカチュワン州の片田舎で起きた「殺人事件」の判決公判が開かれました。被告の名はロバート・ラティマー(47歳)。犠牲者は彼の長女トレーシーさん(当時12歳)で、重症の脳性小児まひ(spastic quadriplegic cerebral palsy)患者、そして12歳でも生後3ー4カ月の赤ちゃん程度の知能しかありませんでした。1日に5回ぐらいはげしい発作(seizure)を起こし、自分では何一つしたいことをできない状態でした。いや、この表現は正確でないかも知れません。彼女は特別に作られたラジオのスイッチを押して音楽を聞くのが好きでした。両親の顔を見ると嬉しそうでした。両親に抱かれて優しく揺すってもらうのも好きでした。

しかし、変形した体を矯正するための外科手術を数回繰り返し、トレーシーさんの体の痛みは耐え難いほどだったようです。発作を抑える薬と併用するために鎮痛剤はタイルノル(Tylenol)しか使えなかったそうです。父親は、娘が拷問にあっているような苦しみ、痛みから開放してあげたいと願い、助手席にトレーシーさんを置いたトラックの中にパイプで排ガスを送り、死亡させたのです。一種の「安楽死」と言えるかも知れませんが、決定的な違いはトレーシーさんには自分から死ぬことに同意する能力はなかったことと、彼女が今すぐに死ぬかも知れないという状況にはなかったことです。

ラティマー被告が娘を深く愛していたことは確かなようです。「娘を楽にしてあげたい」と心底願っていたのも事実でしょう。12年間、一生懸命トレーシーさんの面倒をみました。しかし、可能な限りの医療の努力をしたかどうかは疑問が残るとされています。サスカチュワン州裁、同州控訴裁と第2級殺人罪で有罪の判決が言い渡されました。被告側が上告したため連邦最高裁まで持ち越され、このたびの判決が下されたのです。結果は判事7人の全員が2審判決を支持したため、ラティマー被告の第2級殺人罪有罪が確定し、終身刑(10年間は仮釈放申請の可能性なし)の判決が言い渡されて結審したのです。ラティマー被告は即刻、自ら州刑務所に赴き、直ちに収監されました。

司法を通じての救済策はすべて門が閉ざされました。残る唯一の望みは連邦政府法相の特赦だけです。「安楽死」「障害者の人権、生きる権利」などの高度に政治的、倫理的な問題がからむために、政治家は取り組みたがらないだろうとみられています。
ラティマー被告が冷酷で暴力的な強盗殺人犯や暴行殺人犯などと同列に扱われるのが正しいのかどうか。妻と幼い子供3人を男手のなくなった農家に残して、残された者たちはどうして生きていけるのか。

ラティマー被告は12年間、トレーシーさんを育てて十分に苦しんだうえに、今回の裁判が終わるまで長い間自宅拘禁の状態におかれ、もう必要以上に苦しんできた、10年の懲役刑は重すぎる、連邦政府が介入して短期間で釈放すべきだという声も出ています。障害者団体などからは「障害者の命は、それ以外の誰の命とも同じように尊いものだということが、今回の判決で明白になった」と歓迎する声が上がっています。

唯一の救いは、テレビニュースで見た範囲のことではありますが、ラティマー家の近所の農家の人たちが、「何としてでも、私たちの力を合わせて残された奥さんと子供たちの面倒はみてあげる」と話していたことでした。とても難しい問題ですが、あなたがもしラティマー被告の立場に立たされたら、いったいどういう行動をとるでしょうか?

トロント事情 2001年1月14日 発信

スギケンさんは2001年年頭の「誓いの言葉」として、「もっと体を鍛える」ということを掲げていましたが、私も数年前からその必要を感じていました。私は彼よりもやや年上ですので、普通ならウオーキング、タイチー、ゴルフなどのおだやかなものを選ぶところなのでしょうが、この点については私は普通ではなくて、柔術を選んだのです。

柔術といっても、日本の柔道の前身であった柔術のイメージのような古臭いものではなく、ブラジリアン柔術の流れのスポーツ柔術とでもいうべき、非常にレスリングに近い、寝技主体のものです。立ち技ではなくてグラウンドでやるものですから、柔道よりもずっと安全です。

私と「カナディアン柔術」とのかかわり合いは4年ほど前にさかのぼります。当時、まだ今ほどは盛り上がっていなかった日本のプロ格闘技「修斗」の公式戦に、トロント郊外の柔術道場「サムライクラブ」からジョエル・ガーソン、カルロス・ニュートン、オマー・サルボサの3選手が出場しました。この時、修斗の世界ではまったく無名のジョエルが、実力も人気もナンバーワンだった佐藤ルミナをKOで破ってしまったのです。

このニュースは修斗の世界、日本の格闘技の世界でも大きなショックウエーブを巻き起こしたようですが、少し遅れてカナダでも一部の大手メディアでも取り上げられ、私も初めてサムライクラブの存在を知りました。まもなく同クラブに取材に行き、館長やジョエルなどの話を聞きました。そこで、カルロスと日本から修業に来ていた当時修斗選手の日本人青年F君とも知り合いました。

それからおよそ2年間、いろいろなことがありました。ジョエルはその後、プロ試合には出場せず、今は自分で柔道、柔術を教えています。カルロスはその後も修斗、プライドに出場し、特に最近ではプライドで人気選手になっています。今人気絶頂の桜庭和志と「プライド史上ベストファイトの一つ」と言われるほどの名勝負をして惜敗して以来、カルロスの人気は急上昇したそうです。オマーもその後、プロ試合には出ていませんが、2年ほど前から日本人青年F君と二人でトロント市内で柔術道場を開いたのです。その時から「枯れ木も山のにぎわい」と、新道場の景気づけのために私も老骨にむち打ったのです。

それ以来、私はこのスポーツにのめり込んでいるわけですが、全身運動でものすごく汗をかくのでとてもいいと思っています。カナダ人の若い連中と練習をやる時は「君のお父さんとやるつもりで私を大事に扱え」などと警告してからやります。くそ力のある連中とむきになってやったら怪我をしかねません。そこは皆心得て、私とは遊び半分でやってくれます。カルロスもよく練習に来ます。私のことを「グランパ(おじいちゃん)」などとからかって呼びますが、彼と練習(フリースパーリング)をやると3秒でねじふせられてしまいます。カルロスは大の日本びいきで、今、大学で日本語コースを取っているくらいです。

事情があってF君は日本に帰りましたが、最近、日本人の柔術愛好者もぼちぼち現れてきました。大学時代ラグビー部のK君、高校時代相撲部で大阪府大会準優勝のY君。この二人は格闘技狂でオマーの道場でけいこできることをとても喜んでいましたが、まもなく帰国です。そのかわりに加わったのが空手5段の指導員、Nさん。「前から柔術をやってみたかった」そうで、1回トライしたところ、「おもしろい、おもしろい」の連発です。

 その3 2000年12月28日発信

 トロントのクリスマスは実に静かなものでした。12月に入ってから4回ほど降った雪が全然解けずに残り、スッポリと雪に覆われたホワイトクリスマスになりました。家の裏庭は雪が30センチほど積もっており、りすやら何やら小動物が動き回った足跡がくっきりと残っています。今夜(12月28日)はマイナス15度ぐらいまで下がっています。
米国のボストン近郊や中国では大きな事件があったようで、ラジオ・テレビ、新聞などをにぎわせましたが、カナダ、とりわけトロントは何事もなく実に静かなホリデーシーズンです。最も大きなニュースは、マリオ・レミューという3年半ほど前に引退したプロアイスホッケーリーグ(ナショナルホッケーリーグ=NHL)のスーパースターが、35歳で現役復帰し、復帰第1戦を地元ピッツバーグのアリーナで飾ったというニュースです。
米国ピッツバーグで起きたニュースが、なぜトロントのテレビ、新聞などのトップニュースになるのか? ちょっとご説明いたしましょう。まず、マリオ自身がオーナーであり、現役復帰をしたチームであるピッツバーグ・ペンギンズの対戦相手がトロント・メープルリーフスだったのです。
マリオが復帰宣言をしたのが3週間ほど前でしたが、そのころから「復帰第1戦は12月27日夜の対トロント・メープルリーフス戦」と決めていました。なぜそう決めたかという理由はいろいろ考えられますが、トロントはモントリオールと並んで、カナダを代表するホッケー(カナダではホッケーと言えばアイスホッケーの意味です)都市です。今、モントリオールは地元の名門チーム「カナディアンズ」がリーグ最低の成績で、地元ファンからもそっぽを向かれている状態で、それに比べてトロントは所属ディビジョンのトップクラスを快走中(ただし、ここのところ急に負けがこんでいますが)。ホッケー人気も盛り上がっています。引退したウェイン・グレツキーに次ぐスーパースターだったマリオの現役復帰第1戦を、トロント・メープルリーフスを相手にするとなればカナダのメディアが食いつくという計算。事実、カナダ国営放送のCBCが異例の実況中継で全国に放映しました。それから、何と言ってもマリオはカナダ人です。ケベック州モントリオール郊外出身で、プロキャリアーは全てピッツバーグ・ペンギンズで過ごしましたが、カナダに対する思い入れは今でも強いものがあると思います。彼の心の中では再帰第1戦は、対モントリオール戦にするか、それとも対トロント戦にするかで迷いがあったのではないでしょうか。心情的にはモントリオールでも、ビジネス的にはトロントという思いもあったかも。
再帰第1戦は、マリオ自身が1ゴール2アシストの大活躍で5対0でペンギンズの完勝。マリオにとっては幸先のよい再スタートでした。このニュースが恐らく今日のカナダ全国主要都市のトップニュースだったと思います。カナダがいかに平和な国であるかということを、感謝しないわけにはいきません。

「トロント事情」その2(2000年12月4日発信)

11月27日、カナダ総選挙が実施されました。日本の衆議院に当たる下院の議員(定数301)を選出しました。選挙キャンペーン中のいろいろな世論調査の結果では、クレチアン首相(党首)率いる自由党の3選は確実と出ていましたが、はたしてこれまでの2回の総選挙同様、単独過半数を制するかどうかが一つのカギになっていました。

ふたを開けると、米国の大統領選挙とはえらい違いで、開票後、1時間半もしないうちに「自由党3選、単独過半数」の大見出しがテレビ速報に流れました。各州政府への医療交付金や教育交付金を大幅に削減し、確かに国の財政を赤字から黒字に転じることには成功したものの、あれほどの医の荒廃と教育の荒廃を招いた失政を国民は忘れてしまったかのようです。

自由党は解散前の155議席から18議席増の173議席獲得の大躍進。第1党のアライアンス党(カナダ同盟党とも訳されているようです)は、悲願のオンタリオ州進出成らずでしたが、西部カナダで圧倒的な強みをみせて、6議席増の計66議席。ケベック州だけで活動し、ケベックの分離・独立を志向するブロック・ケベッコワは改選前44議席を7議席落として37議席。以下、新民主党、進歩保守党はそれぞれ8議席減で13議席、12議席に。

クレチアン政権は戦後初めての3選をいとも簡単に達成しました。その原動力となったのはオンタリオ州での自由党の席巻ぶりです。カナダで最も人口の多い同州は当然のごとく最も選挙区が多いのです(103議席)。そのうち、100議席を自由党が取りました。州内の多くの選挙区で、アライアンス党候補と進歩保守党候補が票の奪い合いをしている間に自由党候補が抜け駆けをするという図式が展開されました。極論ですが、オンタリオのこの図式がひっくり返らない限り、カナダの政治は変わらないように思います。

もう一つ気掛かりなのは、特にブリティッシュコロンビア、アルバータ両州に代表される西部カナダとオンタリオ州、ケベック州、大西洋岸州などの東部カナダとの分極化です。ケベック州はもともと仏語圏で他の英語圏諸州とは一線を画していますが、西部カナダとオンタリオの対立関係が一層際立ってきたように思われます。西部カナダでは野党アライアンス党が圧勝なのです。西部の人たちから見ると、「オンタリオ1州で勝ったような政党が、重要閣僚もほとんどオンタリオ選出の議員で固める。これでは西部カナダの民意が反映されない」と憤るわけです。

 基本的に一つの政党があまり長く政権を担当するとロクなことが起きないと思っています。アライアンス、進歩保守両党が歩み寄って自由党を脅かす勢力にならない限り、自由党政権体制を崩すことはできないのではないでしょうか。

NO.1 (20001119日トロント発)
カナダでは11月27日の連邦総選挙(下院、日本の衆議院にあたります)に向けて連日、各党のキャンペーンが展開されています。最大の争点は「医療制度」です。現自由党政権(クレチアン党首、首相)が国庫赤字削減の名のもとに、各ソーシャルサービスなどの予算を大幅にカットしてきたため、ここ数年、カナダの医療は非常に後退してきています。病院削減、病院スタッフ整理、救急病棟で廊下にまで順番待ち患者のストレッチャーがあふれる状態、手術の待機期間の長期化、救急車のたらい回しなどの「医の荒廃」状況が進んできて社会問題となりました。
 最近発表の統計によれば、「世界に誇る公的医療制度」を持つカナダがことあるごとに否定し、軽視しがちな米国のがん患者の死亡率が、カナダのがん患者の死亡率よりもずっと低いことが判明しました。カナダではMRIを受けるための待機期間が6カ月以上などというナンセンスな状態が生じています。
これでは助かるはずの患者も助からないことになってしまいます。
 アルバータ州、ケベック州などの政府は、「国が一方的に医療予算を削減し、各州政府への医療交付金を大幅にカットししたため医療の荒廃を招いている」として、私営の「MRI クリニック」などの導入を認め始めました。 少なくとも、お金に余裕のある人々はお金を払ってずっと早くMRI検査を受けることができるわけです。
 自由党政権は「カナダは世界に誇る全国民平等な医療制度がある。利益追求を目的とした私営MRI クリニックは違法だ」として、その強制的な閉鎖をほのめかしています。野党4党はいずれも政府の失政を責めていますが、私営クリニック導入の「2段階医療制度」を認めるかどうかという点になると、一様に「従来からの全国民平等な公負担による医療制度」の維持を連邦政府同様に唱えています。
 基本的には誰でもが無料で医療を受けることができる、というのは確かにすばらしいアイデアではありますが、これに固執するだけで、現在の医の荒廃状態を急速に改善できるのかどうか。多くの国民が疑問に思っているところです。